続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

「初恋の悪魔」

2022年/脚本:坂元裕二、演出:水田伸生他/全10話各回54分

コメディに振り切っているとはいえ、ちょっと処理の雑さや、冗長なようで、でもすごい駆け足のようでもあり、いまひとつ流れに乗り切れず、個人的には消化不良感が残った。

でも、やっぱりところどころきらっと心に残る魅力を感じさせてくれた。

坂元作品は、いつだって今生きているこの世の中に対して問いたいことがあるのだし、ある種の人たちに「あなたは確かにそこにいるし、あなたはあなたでいいんだ」と伝えたいという優しい思いがあることが作品から伝わってくるから、信頼できる。

彼の作品にいつもどこかでふっと小さく慰められる。

同時に凛とした、射抜くような本質を見つめる厳しい視線を持つ。

 

今作で、個々に好きなシーンはいくつもあったけれど、全体を貫くテーマについて、二つ感じたことを書く。

ひとつは、「警察」を舞台に、今の社会のメタファーをトレースするように描いていたということ。

いわゆる刑事ものって、日本のテレビドラマではど定番で、「相棒」とか火サスとかごく普通に消費されるありふれたモチーフなのだけど、このドラマでは「警察という職場」を、今の旧態依然とした日本社会の縮図として描く、という明確な意図があったように思う。

よくある刑事もののような、キリッとした格好良さとか統率力とかを強調するような見せ方ではなくって、極めてぐだぐだな「日本的な組織」だった。

コミカルに描くことでマイルドにしてはいるんだけど、組織の人間たちは、長い物に簡単に巻かれ、一度こうと決まったら方向修正がきかず真実を隠蔽しても過失を隠そうとし、目上の人にはおべっかを使って、目下の人間は利用して平気で手柄を横取りするような、はっきりと厚顔でゲスな人たちとして描かれている。

軽薄で調子が良く、どんな状況にも自分を都合良くすっとスライドさせてしまえる人たち。

女性は男性のサポートメンバーに徹するか、自らもおっさん化するという選択肢しかない。

 

そして、その組織のトップは、自らが法の正義を代表する存在でありながら、自分のことだけは完全に棚に上げて、身内の利益のためには何をしても良いという考えの人物だった。

悪事がばれたらむせび泣きながら「我が子の涙を見たら可哀想で」と、我が子が殺した友達の死を偽装工作して「なかったこと」にし、続く何人もの死を「内部調査」という立場を利用して隠蔽し、のみならず別の罪のない人を犯人に仕立て上げて有罪にして、平気で過ごしてきた。

一見、実直で見た目もスマートで良さそうな人に見える。しかし得体が知れない、そして遠回しに妙な圧力をかけてくる。

周囲は彼の意図がつかめず困惑する。けれど、そのことによって皆が彼に忖度をする。

でも実は身内にはぐだぐだに甘くて安っぽい情緒に流されて言うなりになり、親として教えも責任も果たさず、ただ嫌われたくないだけの甘やかし、嘘の上塗りで表面を取り繕うばかりの人だった、ということが明らかになる。

身内でない他者へ想像力や責任感は、極めて希薄である。

本人の主観では、仕方がないのだし、悪気はない。とにかくばれなければ何でもいい。

結局自分で落とし前をつけることもできず、呆然と立ちすくみ、自ら死んで詫びようとするも、死に切れず、ただ泣くという。

この組織のあり方や、リーダーのあり方よ。

見よ、これが今のスタンダード社会なんだ、と言われているかのよう。

無責任で想像力に欠けた幼稚な人々。その眼差しは実はとても辛辣だ。

 

そして、このドラマの主人公たちは皆、この「スタンダード社会」に適応できない人たち。組織にうまく馴染めず、排除されたり、侮られたり、いいように利用されて軽んじられたり、いない者のように黙殺される。

愚直で腰の低い丁寧な人(ハルヒ)とか、

女らしくわきまえず空気を読まない人(セスナ)とか、

不器用な繊細さん(小鳥)とか、

重度のオタクでコミュ障の人(鹿沼)とか、

誠実な新人の女性刑事(服部さん)とかは、

この社会では当然のように冷遇され、ペナルティーを受けても当然とされる。

 

しかし、ものごとの本質にたどり着く力を持つのは、彼らのような人たちだ。

それぞれの欠点に見えるような個性は、得難い特質でもある。

そして、何かひとつ、譲れないものを心に持つ人には、勇気というものがある。

そうして事件を解決したところで、不思議といつも手柄は他の誰かのものになり、誰にも褒められはしない。彼らのような人たちはこの社会では常に割りを食う。

世界中たくさんの暴力はあるし、悲しいことはあって、僕が生きているうちにそれがなくなることはないかもなって思います。

でもね。人にできることって耳かき一杯くらいのことなのかも知れないけど、いつか、いつかね、暴力や悲しみが消えた時、そこにはね、僕の耳かき一杯も含まれてるんだろうと思うんです。

大事なのは、世の中は良くなってるって信じることだって。

この状況に対するメッセージとしては、いささか弱いのかもしれない。でも、実感を伴っているし、共感する。

 

もう一点、今作ではDID(解離性同一性障害、昔で言うところの多重人格)が主要なモチーフの一つになっている。それは、なんでなんだろうなと思いながら見てきたけれど、最終話を見て、そうだよね、と思った。

 

誰かがそこに「いる」とはどういうことなんだろう。

何をもって「その人と一緒にいる」と言えるのだろう。

人は、愛する人を失いたくないし、特別な関係がいつまでも続いて欲しいと思う。

でも、一人の人間だって変わって行くのだし、何も変わらず一切揺るがずキープできる関係性など本当はない。

昔話で「王子様とお姫様は、結婚して末長く幸せに暮らしました」と言うけれど、あれは呪いの言葉。実際は、結婚は始まりでしかないのにね。

その時その時、お互いが気が合って、笑いあえて、良い時間を過ごせたってことだけにフォーカスできれば良いのだけど。

でも人は何かを「キープ」したいあまりに今をないがしろにするし、今の幸せにも気付けないものなのだ。

お別れじゃないよ。会えなくても離れていない人はいるの。

仲良くなれる人って、いて。

当たり前じゃないと思うんです。

今、いなくていいんだと思うんです。

今ここにいなくても、別のところにいるかもしれない。

その人も、一人かもしれない。

大事なのは、ちゃんと自分のままでいることだなって。

何かを失いたくないとか、維持しようとかいう思いのエゴ。

ずっと安定して恋人や友人に恵まれていなければ、その人は孤独で不幸なのか。

いつも自分に正直であれること、一期一会その時々が、素敵な思い出を心に持っていることが幸せ。