続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

今日の考え(改)

爽やかで涼しい。今日も色々タスクがあるけれど、一つひとつ落ち着いて片付けていこう。

昨日は半月ぶりにヨガのクラスで汗を流して、少し日常を取り戻した気持ち。

夜はお義父さんが誕生日だったので、家に招いて夕飯をご一緒した。

リクエストに応えて奮発して良いステーキ肉をレアでさっと炙ったものがメイン。

喜んでもらえて良かった。

 

お義父さんの認知症の症状は、どんどん進んでいる。この2年のコロナ禍で人と会わなくなってから、坂道を転がるみたいに進んだ。一人暮らしのお年寄りで、お義父さんみたいな人って少なからずいるだろうと思う。

短期記憶が相当あやふや。

意思疎通がしっかり取れるうちに、整えておかねばいけないことがたくさんある。最近の夫はそれらの雑務が色々大変そう。

記憶があやふやになると、人は自信を持てなくなるものなのだなあと思う。

最近のお義父さんはずいぶん気弱になり、下手に出るようになった。

そんなに気をつかわないでもいいのに、と思ってしまう瞬間が何度かあった。

これまでのお義父さんは自分で会社をやって財力も自信もあり、自分の正しさに常に確信を持っている人だった。

でも、昨日はもごもごと独り言みたいに、パ、パーマカルチャー?あの子は学校行かず農業をするんか?どうもよく分からんが・・・、と気弱な笑顔で言っていた。

うまく説明できる気がしないので、そうなんですよねー、えへへ、と曖昧な笑顔で相槌を打つのみであった。

映画「ファーザー」を思い出す。

アンソニー・ホプキンス演じる認知症の父親に見えている不確かな記憶の世界は、当人にとってはもはやホラーの域だった。

不安で、ぎょっと驚くことばっかりで、自分がだめになっていくような悲しさと隣り合わせの心細い孤独な世界。

その世界への想像力をはたらかせることを、これからはいつも心に留めておかないとな、と思う。

 

息子氏と話していても、ユーチューブ?インスタ?知らんなあ〜という感じで、情報源はほぼテレビと新聞のみだから、お互いが見ている世界には相当の乖離があるはず。

今、世間話でも親世代と社会のことを話すのは、地雷だらけであまりにおっかなく思えるほどだ。

いろんな価値観が急速にアップデートされていく過渡期であり、大メディアの激しい劣化、裏腹にネットメディアやSNSを含む玉石混淆の情報過多の状況がある。

難しい時代。

今の自分にできることは、不安や怒りに流されず、じっと黙って自分の考えを抱え続けていることくらいだ。

 

当然、昨日行われた国葬についてもほとんど話題にのぼることはなかった。

やると決まって以来、多くの人たちのごく当然の違和感や怒りの表明を目にしてきたので、これ以上言葉を重ねるつもりもないけれど、今思うことを一言だけ。

以前、介護のプロの友達が「人は生きてきたように亡くなるものだ」と言っていた。

なんて彼らしい国葬だったろう。以上。

 

国葬のタイミングで放映されたスウェーデン公共放送の、なんの忖度もないクールな報道。

翻訳してくれていた方の要約ツイートを引用。

・(国内)メディアでは皆が安倍氏の死を悲しんでいるかのように報道されているが、日本国民は国葬に反対している。その背景には、多くの日本人家庭をメチャクチャにした宗教活動がありました。

・安倍元総理の銃撃事件の後、政権与党である自民党の379人の内179人が統一教会と関係を持っていた事が判明しました。

・日本の政治には汚職が付き物という歴史があります。政治家たちはいかなる手段を使ってでも金が欲しいのです。

世論調査では日本国民の半数以上が安倍氏国葬に反対しています。その費用は税金から出ており、125万クローナ(16億円)に及びます。

・(コネチカット大学歴史学教授Alexis Dubben氏のコメント)これはまるで戦前のようです。民主的とされる日本で、日本は戦争犯罪などやっていないと主張する男が国葬される。これはドラキュラを国民的英雄として祭り上げているようなものです。それも国民のお金で。

・日本は未だに海外からの入国を制限している時期だというのに、国葬の時は海外から来賓を招き入れる。このように事件を利用するのは政治家たちの典型的な手口です。

これは危機的状況です。

@sonotasan2017 9/28のツイートより引用)

要は基礎情報を普通に伝えればいいだけなんだ。今回の国葬はつまりはこういうことだ。

 

小説家の中村文則さんが、重要な指摘をしていた。

『以前のメディアは、基礎情報(物証を伴う明らかな事実)は皆伝えた。

まず基礎情報を全メディアが共有した上で、各々独自の取材を重ねる。

だが今は、政権与党に忖度したり、メディアの上層部が政権と一体化していて基礎情報を伝えなくなっている。

基礎情報を曲げさえする。

そうすると、世の中には知っている人と知らない人が出てくる。そのことで分断が煽られる。

基礎情報を伝えない、恣意的に曲げてミスリードをするメディアは、報道やニュースと名乗る資格はない。』

 

私はコロナ禍以降、大きなニュースに関してはもう国内の大メディアからは情報を取らないようになっていて、継続的にチェックしているのはいくつかの海外メディアだけ。自動翻訳の進化にも助けられている。

ヤフーなど主要プラットフォームのトップページに並ぶニュースは、優先順位もニュースのクオリティもおかしいから、表示されないようにしているのは基本。

日本のニュースの、ある方向に誘導しようとするニュアンスを感じると、強い拒否反応が出て、さっと見やめてしまう。

時々何かの拍子でテレビのニュース番組を見ると、大事なニュースを報じず、代わりに、必ず「自転車泥棒」とか「危険運転」とか「万引き」みたいなけしからん小悪人のニュースが小出しに挟まれていて、ごくたまにしか見ないのに本当に毎日のようにこれやってるんだと引く。

どう考えても重要度は低く、でも熱心に日々刷り込み続ける。

 

今ある大きな、大事な問題を黙殺し、卑近な感情を煽るニュースを刷り込むテレビニュースの悪質さを思う。

作り手は、見ている人を馬鹿と基本設定しており、見ている人が馬鹿であって欲しいと願い、見ていると馬鹿になるような内容になっている。怖い。

テレビがすでに子供達にそっぽを向かれているメディアに成り果てていることにほっとする。

全部ではないが、テレビはもはや見てはいけないもので溢れるメディアになっている。

 

今回の国葬と重なるタイミングで起こった、静岡の水害がほとんど報道されなかったこと、国葬を優先して援助の手がまともに差し伸べられなかったことを忘れない。

災害が広く表沙汰になると「そんなことやっとる場合か」と更に非難されるから、では事実を伏せてしまえばいい。

基本的事実を報道するという報道の基本を放棄した不誠実なメディア、困窮した人々をあっさりないがしろにする政府、そういう国に自分は生きているということを、この「報じられなかったニュース」は証明している。