続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

この社会をどうとらまえればいいのだろう④

今自分の生きているこの社会を、どう眺めるかについての考察、ドローンが上昇するみたいにだんだん視点を俯瞰していきながら考えてきたけれど、最後は「そもそも人間って」という観点から今感じていることを書き留めておく。

 

しばらく前の高橋源一郎さんのラジオ「飛ぶ教室」で、山本七平 著『一下級将校の見た帝国陸軍』が紹介されていた。

本作で山本は、第二次大戦で陸軍将校として従軍した自身の体験を通して、日本軍の体質、ひいては日本社会の体質について論証している。

日本人の代表的な「現象」の一つとして挙げられていたのが、相手の社会的地位や役職によって一瞬にして態度を変える事大(じだい)主義。自分より立場が上の者にはへつらい、下の者は見下す。

興味深かったのは、その最大の特徴は思考停止にある、という指摘。

事大主義の人とは、自己保身のためにあれこれ損得勘定を頭の中で巡らせて、小賢しく振る舞っている、のではなく、基本彼らは「考えたくない」ので、上の立場には従い、下の立場には抑え付けて言うことを聞かす、という原則にただ従っている。

何かを指示されても、なんのためにそれをやるのかとか、やったらこうなるのではないか、とか何も考えない。

ただ上に従い下に従わすということだけ。

もうひとつの日本人特有の現象は、数のつじつまが合っていればちゃんとしているとし、実際がどうでも不問に付す員数(いんずう)主義

数さえ合っていればいい、合わなければ、合うよう他所から盗んでもいいし、壊れたものでもいい、とにかく命令と報告の外面的な辻褄が合ってさえいれば、大丈夫ということにする。

また、書類上「なかった」ことは、実際にあったことでもなかったことになる。

これも、辻褄を合わせるという原則に従うのみで、思考停止するための装置といえると思う。

いちいち自分の頭で考えたくない人々、それが日本人なのだとこの本は喝破している。

 

遺伝子学的にも、日本人に「考えたくない傾向がある」ことは実証されているみたいだ。

東アジア人にはドーパミンを分解しやすい、ドーパミンが出てもすぐになくなってしまう人が多い。一方、ヨーロッパ人はドーパミンが分解されにくい傾向がある、らしい。

ドーパミンは、意欲、学習、多幸感などを感じる脳内の快楽物質のことだが、考えることは、酸素やブドウ糖を大量に消費するので、身体にとっては負荷の大きい行為。

ドーパミンが作用しているとき、人は脳を働かせている時の高揚感を感じ、考えることに抵抗がないのだが、ドーパミンが欠乏すると、考えることが苦痛でぼーっとしたくなる。

つまり、脳内ドーパミンがすぐ消える東アジア人は、自分で考え、決断することが苦手。何かをやるときは最初にやったリーダー格についていく行動をする人が多い傾向があるという。

極端に言えば「多数派に従わずに生き延びるよりも、みんなと同じ行動をして、みんなについて行って死ぬほうがまし」と考える。

 

だからヨーロッパ人のほうがいいとかそういうことではなくって、そういう機能を持つことがおそらく東アジア人にとっては生き抜きやすかったためにそのように生物学的に適応したのだと言われている。

東アジア人には、弱い者を助け、自己犠牲的で利他的な遺伝子も多く併せ持っている。

つまり個より群れを最優先すること。

そのためには、一人ひとりが「考えないこと」は、集団でまとまるためには都合が良かったのだということ。

こうした傾向自体は、いいとか悪いとかではなく動物としての生存戦略それ以上でも以下でもないのだと思う。

大事なのは、特性を分かって、それを踏まえて考えること。

 

 

今この社会で起こっていることは、80年前とさして変わっていないように思える。

国全体の印象もそうだし、会社や学校や家族や友人といったあらゆる人間関係が、事大主義と員数主義を無視して語っては片手落ちに思えるくらいだ。

だから、私たちの少なくとも半数以上は「そういう人たち」なんだし、自分にもその要素は確実にあるということを否定しても始まらないので、まずはそれを認めた上で、世の中を眺めてみるべきなんだろうと思う。

 

私たちは今ある資本主義や民主主義を、現代の当然のスタンダードみたいに思っている。

でも、民主主義も資本主義も性善説ベースで制度設計されていて、人間のこうした残念な本性については織り込み済みになっていない以上、まともに運用できないのがまあ当然なんだくらいで考えるべきなんだろう。

 

おそらく、民主主義最大の弱点は、人間を高く見積もっていること。資本主義最大の弱点は、人間を一定の節度を持つ存在と見積もっていること。

どちらの制度においても、恥知らずで倫理観を欠いたやばい奴が権力を振りかざして「何が悪いんですかー?」と好き放題をはじめた時に、基本的になすすべがない。

民主主義や資本主義において、権力や財力を持つ非倫理的な人たちは、悪い意味で最強の存在なんだと、何人もの権力者や億万長者たちが身をもって示してくれている。

 

忘れてはならないのは、例外的に絶対的な悪者がどこかにいて権力や財力を握っているのではない、人間は誰しも自分で思うよりずっと簡単に権力やお金の影響で非倫理的な存在に堕落してしまうんだということ。

人って基本は皆似たり寄ったりで大差ないと思っている。

生まれたての赤ちゃんは、誰もが文句なしに愛らしい。

その後、その人が生き延びるために本来の気質の影響や環境や運といった様々な入力があって、人それぞれの価値観が後天的に形作られていく。

けれど、後天的な価値観は絶対ではなくて、ある条件下に置かれたら、少なくない数の人が簡単に変わる。ここは事大主義の国だから尚更だ。

権力や財力を手にしても、誠実で謙虚でい続けられる人ははっきり言って少数派なのだ。

また、戦って繁栄をしてきた人間の本能には、競争心や暴力を好む心がビルトインされている。

どんだけ主観的に自分は平和主義だと思っていても、映画ひとつとっても暴力で満ち満ちた作品を大喜びで見ている時点で、皆どんだけ暴力が好きなの、という話だ。

人間を、変に高く見積もらないほうがいいのだ。

 

社会がどういう状態にある時に自分がたまたま生きているかというのは、巡り合わせ。

社会が大きな力でうわーっととある方向に向かっていくうねりを、個人の力で堰き止めたり変えたりすることは、ほぼ不可能だと思う。

だって、世界には色んな美談や成功譚があり、立派で賢くて善良な人々はこれまでもたくさんいたし、今もいる。

ブッダガンジーダライ・ラマ中村哲さんのような偉人や賢者もいた。

でも!今の世界は大局としては今の世界のようになっている。

それが答え。人間世界の一つの答えだ、と私は思う。

 

人間は、地球上で一番偉い、優先されるべき選ばれし生き物だ、と私たちは勝手に思っている。でも、よく言われるように、地球目線で考えたら、人間は一番の危険生物で、コロナウィルスなんかの比じゃない。

地球とこんなにも調和できてない、ジタバタもがき苦しんで生きている生き物は人間だけだとも言える。

ミクロで見れば、この国と地球が、今の自分はもちろん、この先子供たちが安心して幸せに生きていかれる場所であってほしいと思っている。

けれど、マクロで見れば、地球環境の破壊は人間が存在する限り、残念ながら止まらないし、いなくなったらなっただよな、と思う。

それこそ地球にとっては人間は、その何億年の歴史のごくごく一瞬みたいな短期間に、わーっと湧いてわーっと消滅したウイルスみたいなものなのかもしれないな、と。

 

ずいぶんとりとめなくつらつら思うままに書いてしまった。