続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

夏の終わり、お出かけ日和。

秋めいてきたと思っていたら、今日は夏に戻ったような暑さ。

週末は関西から妹が出張を絡めて遊びに来てくれた。我が家で夕食を囲んだり、姉妹で鎌倉や葉山へお出かけしたり。

ところが観光地はお盆休みめいっぱい頑張って稼いで、今頃夏休みというパターン。せっかく訪ねたかわいいお店などがかなり閉まっていてがっくりだったけど、喋るのが目的みたいなところあるから、一日ゆっくり喋って食べて、それだけで十分楽しかった。

ランチは森戸海岸の「oasis」でジャマイカンを食べた。夏の終わり、涼しく曇って風が吹いて、胸がすくような心地良さだった。

妹は、趣味から考え方から色々違うが、尊敬しているし、この世で一番一緒にいて楽チンな人である。お互い、ばあさんになって近くに暮らせたら、毎日おしゃべり三昧で、さぞ楽しいだろうなあと思う。

妹発案で葉山の天然氷のかき氷屋へ行ったら、びっくりするくらい高いのだった。1500円とか普通にして、ランチ代より高ーい!

でも、2人ともすんなり食べよ、ってなった。もうこの年になって、この時間がプライスレスだよね、という思いがあるから。

こうして一緒に過ごせる時間を、本当に大事にありがたく思う年になったよ我々も。

 

昨日は娘氏の発案で、小雨降る中、夏の恒例である中川温泉郷へ。ここの川の上流で思いっきり水遊びする時の娘氏は、どんな時より一番嬉しそうにしている。

幼稚園の頃の面影を感じてちくりと切なくなりながら写真を撮った。

行き帰りの車では、娘氏はずっとずーっと話していた。彼女には考えるべきことが山のようにあるのだ。

まだまだ行動が伴っていない、身体がついていかない部分は大いにあって、夫はよく彼女のことを頭でっかちだと言う。

確かにそうなんだけれど、私は娘氏が言葉を弄している訳でも論破しようとしている訳でもなく、誠実に言葉を探しているのを感じるし、対話を重ねるたびに考えが本質的になっていくさまが、聞いていて面白く、毎回小さい感動がある。

最近の彼女にとって、身体は考えを立証するために行動を伴わせるためのものというよりは、逆に「彼女にとっての本当の考え」を教えてくれるものという認識になっている。

以前は、どうして他の人たちのようにもっと踏ん張って、社会に適応できるような無理がきかないんだろう、と自分の体の弱さやままならなさを情けなく感じて落ち込んでいた。

けれど、頭に血が上らなくなる感覚、体の動きが鈍くなる感覚、頭痛といったネガティブな身体感覚が起きた時に、そのシチュエーションから離れたり、何かを止めたりした時、自分が楽になったり、短時間でも調子がおかしくなる人がいる一方で、長時間でも気分良く集中して話を聞いていられる人がいたりする経験を重ねていくうちに気が付いた。

体は自分を護り、彼女にとって正しいことを教えてくれているのだということに。

それで、今はあんまり自分を責めず、身体を自分にとって良い状況に自分を置いてあげるように具体的に対処したり、自分に優しくしてあげることの大事さや、無理のきく鈍感な体をもつ怖さについてだいぶ腑に落ちているようである。

だから娘氏は最近は自分の身体の状態にとても注意深くなっている。他人に接する時も、ファッションとか外見よりは、その人が発する「気」などについて言及するようにもなった。見てるポイントが変わってきたのだ。

昨日は「毛を剃る、抜くっていうことは、それをするたび自分の体のそのままでは醜くいと否定していることだから、どうなんだろうってだんだん思うようになった」と言っていた。

以前はあんなに痩せていることやイケてる外見が重要で、他人の目をすごく気にしていたのにな。

「でもみんなツルツルの中で1人だけ毛がぼーぼーなのはやっぱり恥ずかしいけど(笑)」

 

今はまだ、飛行訓練中のヒナ鳥で、ピヨピヨピヨーーって飛んで行っては、何かにびびって慌てて巣に舞い戻ってくるの繰り返し。

繰り返すうち、だんだんと飛行距離が伸びてきて、ある日突然「住みやすそうな森見つけたー!」って生き生きした顔で報告したが最後、パタパタパターーーって飛び去って行って、はい、いっちょ上がり、となるのだろう。