続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

サヨナラCOLOR

お盆休みが明けて、静かな日常が戻って来た。

とは言っても連休の人出の多い時には好んで外出しないので、大したイベントもなく至って地味に過ごしていた。最終日にちょっと水遊びに行ったくらい。

暴れん坊の末っ子を持て余しつつも、けがや病気なく無事にやり過ごせたのだから、よしとしよう。

台風が暑い夏を連れ去ってくれたみたいに、涼しい日が続いている。時々ぱらぱらと雨が降っている。

 

娘氏が、通信制高校を今月いっぱいで退学することになった。

私もいろいろ考えたし、今もふとした瞬間にふわっと不安めいたものが胸をよぎることもある。

何しろ道なき道だから。

夫は「雇われて働くなんていつでもできるのだから、今はモラトリアムの期間として、のんびり高校生という立場を過ごせばいいのじゃないかなと俺は思う」と、私には言っていた。

でも彼は子供達にはいつも「自分の人生なんだから自分で決めたらいいよ」と言う。自分の考えを言うことも、押し付けることも注意深く避けている。

私は思わず色々自分の考えを言っちゃうんだけど、でも今や娘氏の方が私より深くものを考えており、対話する中でも「なるほどそうだよなあ」と納得してしまう始末である。

 

未来のことは、分からないし、色んな人が色んなことを言うし、それぞれに一理ある。でも、ひとつの基準として、人は生命力が上がる方へ向かって行くのが間違いないと信じている。

本人がしっかり自分の頭でものを考え、自分を大切にし、完璧は無理でも、極力こうありたいという思いに素直に従い、素敵だと思える人や場所と共にあるようにすれば、そんなおかしなことにはならないんじゃないかなと。

 

私としてはまー、あの価値観の高校で、娘氏が3年間学ぶというのはやっぱり無理筋だったなあ、しゃあないか、と観念した。

あの学校は、以前にも一度書いたけれど、多様性や自由な学びを謳っているように見えるし、実際選び切れないほど幅広い興味に対応したワークショップやイベントがよりどりみどりだ。

けれど、常に根底にある理念は「他の人にはない強みを身につけてこのハードな世の中を勝ち抜いて勝者になれ」という競争原理主義と、生徒を消費者と位置付けるビジネスマインドである。

学校の価値観に共感できてやる気を持って邁進できればそれに越したことはないだろうし、共感しないまま折り合いをつけてうまくやれる人もいるのだろうと思う。

けれど、娘氏はここでこれ以上の時間を過ごさないことを自分の意思で選んだ。まともに通ったのは実質3ヶ月だった。

 

利用できる部分は活用して、合わない部分は右から左に聞き流してやってみればいいじゃない?と言ってはみたけれど、そこまでしている必要が?と正面から問われると、言葉に詰まった。

高校卒業資格って、そこまでして取る必要があるものなのか?

高校生という肩書きを失うことは、それほど大ごとなんだろうか?

私は、その本質的な問いに、自分なりの確信をもった言葉がこの歳になっても返せないということを突きつけられる。

結局自分は、嫌々ながらも規定のレールに乗って、高校大学なんてほんとサボタージュしながら、それでも留年することもなく卒業して就活して就職して、25歳で心と体を壊してドロップアウトするまでは、マジョリティの規定路線を歩いてきた。

私は常に学校というものに対して不本意だったけれど、そこから降りる覚悟も持てなかった、中途半端な人間だ。

私のさぼりは先生も呆れるほどにまじでひどく、相当破れかぶれの状態だったが、ギリギリ最低ラインで学校に適応するだけの小賢しさはあり、「こういうもんだ」と心を無にして受け入れるくらいには思考停止しており、競争社会というものを深く内面化するほどには競争的な人間であった。

そして、学校という規範に頭を押さえつけられて縛られてきたと同時に、自覚ないままにおそらく恩恵も受けてきたんだろうということも、長く生きている中で気付かされることになった。

 

なんとなく流されて生きてきた自分と学校との関係を、私はいまだに総括できていない。安全な場所から分かったようなことを言っているだけだ。

娘氏が、学校というもの、ひいてはこの社会の仕組みというものについて、この数年間ひとりで考え抜いて、今では自分なりの言葉で理解して語り、一つの決断に至ったことを誇らしく思う。

同時に、なんという自分の心許なさだろう。

学校という場所がいかに子供の頃の自分にとって加害的で硬直的な場所であったかというトラウマが強過ぎて、私は学校から子供の心身を守るということばかり考えてきた。

だから、娘氏についても、先のことはろくに考えず不登校を後押ししたことについて、不登校になってから娘氏に起こった数々の想定外のことに対峙するたび、戸惑い、反省させられた。

もちろん、学校に無理に通わせたほうが良かったとは、今も一ミリも思わない。たかが学校だ、とも思う。

けれど、学校に行かないという選択をするということは結果的に「単に学校という場所が自分に合う/合わない」ということにはとどまらない。社会の多数派であることを放棄して、今後インディペンデントに生きていくことと同義なんだという自覚と覚悟は必要だった。大げさじゃなくそう思う。

 

この国で生きる上で、「公教育」ってラスボスのひとつだ。公教育は、まさに社会を体現している存在で、公教育の学校に12年間通い、規定のカリキュラムを受けるということは、「この社会のルールを受け入れます」と社会に対して意思表示しているということに他ならない。

逆に言えば、学校に通わないということは、本人の意思がどうあれ、社会的には「この社会のルールに従うつもりはありません」という意思表示となるということだ。

ほとんどの人々が我慢も含めて従っているこの社会の規範に、「同調しません、従いません」と表明した者たちに対する意識的/無意識的な社会の風当たりが、不登校にはセットになってついてくる。

どう表面上「大丈夫だよ」とか言い繕ってみても、そこには厳然とした軋轢が存在する。

ありていに言って、社会が多様性を愛さないのに、不登校があるがまま社会に受け入れられるはずがないのだ。

学校はこの社会の秩序を下支えするアイデンティティのひとつ。それゆえ、簡単に揺らぐわけには行かないし、その同調圧力の強さも、一朝一夕のものではない。

学校に行かない選択をすることは、好むと好まざるに関わらず、社会に「はぐれ者認定」を受け続ける人生に入るということを意味している。

 


でも、


だからなんだっていうのだ?


「とりあえず」や「メリットデメリット」や「リスク」を、もう行動の際の基準にしたくないんだ、と娘氏は言った。

彼女は、16歳にして「社会の脅迫やご要望に応えて生きていくことはもうしません」と宣言したんだと思う。

馬車馬の論理でがむしゃらに前へ前へ、更なる高みを目指すゲームに、パイを奪い合い、誰かを蹴落として少数の勝者になる道を目指して研鑽を積むゲームに、私はもう参加しません。

そのことで何か損やペナルティがあっても甘んじて受け入れます。

私は、そういう人生を選びます。

 

だから、のらりくらり籍を置く道はなくって、退学を選んだ。

彼女の考えはそういうことなんだと理解している。

 

「中学校の不登校はね、口では学校に行かないことを選んだって言っていたけれど、実際8割は行けなくなって行かなかったんだよ。劣等感や負い目が自分の中にあった。

でも、高校はね、良い所も色々あって。先生も優しい人たちだったし、学校で出会った友達も全員いい人たちばかりで気の合う人もできたし、少しは面白いと思える授業もあったし、通い続けることもできたと思う。

実際、プログラミングの授業とかも、身につけたら将来役に立つんだろうなと思う。だけど、少なくともこれは今、自分がやりたいことじゃない。だから辞めたいって。

初めて自分で決断したという気持ちなんだ」

 

辞めると決めたら娘氏の周囲で色んな人との出会いや対話や新しいプランが動き出している。人生の流れって面白い。

私は、不安もあるが楽しみに見守りたい。

娘氏が、これからどんどん遠くに行っちゃうんであろう予感に、一抹の寂しさと嬉しさを噛み締めつつ。

 

娘氏は「サヨナラCOLOR」の昔の動画を、うー響くわぁ〜と言いながら繰り返し聴いている。確かに今これほどどんぴしゃの一曲もなかろうな、笑。

タカシくんの甘い歌声と清志郎の声が沁みるなあ。