続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

ぐぐっと上がってきた、「幸福人フー」

今日も危険な暑さ。

最近は、日中は室内で大人しく過ごし、夕方ちょっと外の空気を吸いに出るというサイクルになっている。

一日の中で夕方の時間が一番好き。今日が押し流されるように終わって行く、目に見えて刻々と暮れていくさまの一抹の切なさと、大きなものに委ねる感覚を感じているのが好き。

人間の力で全部オーガナイズできるように思って、きりきり舞いしてぎゅうぎゅう詰め込んで生きている世の空気感をしんどく感じるが、自分もしっかりそこに巻き込まれて、大した動きはできないくせに、気持ちばかり急いてしまうことがままある。

そんな時も夕方の空を見れば、人間の都合なんて知ったこっちゃなく問答無用に日は暮れていくということを見せつけられる。見上げているだけで胸がせいせいして、呼吸が深くなる。

 

約2年前に妊娠をして、高齢出産に自信を持てないでいる気持ちを伝えたら、助産院の院長先生が「高齢だと産んだ後2年ぐらいくたびれてどーんと落ち込むんだけど、その後ぐぐーっと上がってくるからね。で、元気で長生きになる。なぜだか知らないけどそういうもんなのよ」と言ってくれた。

その言葉には結構勇気付けられたのだけど、ここ数週間、あれ?なぜにこんなに体軽い?と感じることが増えて、先生の言葉をはたと思い出したのだった。そういえばそろそろ2年だ、と。

あの言い切り感には気休めの励ましじゃない真実味を感じたが、こうも時期的にぴたっとはまるとすごいな、と改めて感嘆する。何千人という妊婦を長年見てきたおばあさんの経験値ってかなり正確性の高いものなのかもしれない。

 

多分、産後のヨレヨレ期が終わろうとしている。巣ごもりして痛んだ体を少しずつ癒す期間がようやく終わろうとしていて、気力みたいなものがぐあっと盛り上がってきているのを感じる。

私の場合、更年期的な症状も相まってこの二年の慢性的な不調は根深く、複数の箇所が常に痛いとかもう本当勘弁して、と心折れそうな日々もあったが、ようやくちょっと光が見えてきて、ふつふつと嬉しい気持ち。人生山あり谷ありかー。

しかし同時にやみくもに動きたくって、どうにも落ち着かなくて、少々わなわなしているのが不快である。躁っぽい感覚がある。ここ、落ち着いてしっかり日々を過ごさねば。

 

そんな当てどない気持ちの時にぴったり来るのが坂口恭平さんの本。自分研究、とりわけ躁鬱の研究なら、坂口恭平をおいて他にはなかろうと思っている。体調に関わらず、日頃から彼の書いたものをよく読んでいる。

彼は速書きの人で、毎日早朝4時に起きだしてぶっ通しで原稿10枚書く暮らし。推敲したり、書き直したりをほとんどせずに勢いでガーッと吐き出すように書かれている文章だけに、中には読みにくい作品もあるのだけど、彼の思想や試行錯誤は、私にはとても納得性がある。何より、彼の思考は、頭を押さえつけてくるような狭い世の中の規範を払い飛ばして、はっとするような本質に軽やかに飛んでいく。読んでいて気持ちが広々して息がしやすくなるので、ここ数年、彼の考えや言葉に触れることは私にとっては大事な日常の一つになっている。

とにかく書く量、スピード共にすごい上にTwitterもやっているので、読むものには事欠かないのがありがたい。

 

今手元にあるのは「自分の薬をつくる」「よみぐすり」で、今noteで連載している「幸福人フー」は、坂口さんが自分の奥さんであるフーさんにインタビューしながら、彼女との長年の関わりと、彼女の存在がいかに自分を変え、くつろがせ、治癒してきたかについて考察している文章になっている。

夫婦の関係性が垣間見える、とりわけ、坂口さんの弱さや甘えを感じさせる内容が切実だし愛らしくて、これまでの連載の中でも特にお気に入りである。第3回は泣けたなあ〜〜。

憧れるという言葉が苦手で滅多に使わないようにしているのだけど、フーちゃんのありようには、心から憧れる。こんな風にあれたらと思うし、彼女を妻にできた坂口さんは、なんというラッキーガイなのじゃろうかと思った。

フーちゃんは、きっと誰とでもそれなりに良い家庭を築ける人だと思うが、坂口さんはフーちゃんでなければ生きられなかったかもしれない。

そして、彼の素晴らしい仕事たちの背景には、彼の思考の交通整理をし、現実的な負荷を和らげ、その思想に磨きをかけるための絶え間ないフーちゃんとの対話が不可欠だったことを実感する。

フーちゃんの、誰にとってもはた迷惑でない、無理や見栄のない、欲深さのない生き方に、ちょっとでも近づいていければいいなと願わずにいられない。

 

しかし、世に出てたくさんの人に大きな影響力を与える、いわゆる成功者と言われる人は、フーちゃん側の人ではなく、恭平側の人であるのが世の常である。

すごく有名だったり、抜きん出た活動をする人は、巨大なエゴや振れ幅の激しさや、病みといった、歪みや欠けや奇形をその表現によって昇華させようとする側面は少なからずある。闇や葛藤が深ければ深いほど、創作のエネルギーや奇天烈さはずば抜けたものになり得る。

人として調和が取れて充足している人には、そんなエネルギーはないし、持つ必要もない。それは、とても幸せで恵まれたこと。

有名になることや金銭的に稼げなければ虚しい人生みたいなアメリカンドリーム的価値観に基づいて、有名な成功者をあたかも人格者ゆえに成功したように語ったり、一般的な人生のお手本とする勘違いは、そろそろほんとうに改めた方がいいよなと思う。

彼ら奇形のもたらすすごい表現には素直に感謝し、助けられ、楽しく享受しながらも、彼らの存在を自分たちと同列に、努力の有無の範疇で捉えたり目指したりするのは、単純にずれたことだ。

私が日頃からいいな、かくありたいなと思う人って、身近だったり無名な人がほとんどなのだけど、「幸福人フー」を読んで、改めてそれは当然のことだったのだな、と思った。

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