続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

「Swallow スワロウ」

ポスター画像

2019年アメリカ・フランス合作/原題:Swallow/監督:カーロ・ミラベラ・デイヴィス/95分

 

裕福で、表面的には満たされているようでも、ハンターは一人の人間として見てもらえない人々に囲まれて生きている。

表面的には彼女を存分に甘やかしているようにみえるエリートの夫は、ハンターが本当は何を考えているかなんて少しも興味がないし、彼の「完璧な」人生を彩るおあつらえむきのピースの一つとしか見ていない。

やはり表面的で心の冷たい疑り深そうな義父母。

彼女の日常は、何不自由なく、同時に訳が分からない程孤独で虚しい。

 

ハンターは、内面に大きな空洞を抱えて生きてきた女性。自分の存在自体が母親を苦しめる出自を持つ。

一方的に押し付けられる色々なものを黙って飲み込んで、誰の心もざわつかせぬよう、物静かに生きてきた彼女は、ある時、無意識の抵抗を始める。

自ら進んで異物を飲み込み、排泄する。

当然痛く苦しくてたまらないことなのに、ハンターが異物をゆっくりと口に入れて飲み込む様は、目を背けたくなるほど痛々しいと同時に、どきりとするほど甘美的だ。

 

自分に価値があると思えない人であるハンターは、自己主張というものがなく、つかみどころがなくいかにも自我が弱そうだから、周囲の人は皆彼女のことを侮って思い通りにしようとする。

彼女も周囲の人に有効に反論することは、はなから諦めている。

しかし頑なに異食を止めない。

夫や周囲は苛立ち、怒りまくり、彼女の自由をどこまでも制限することで、彼女が厄介ごとを起こさないようにする。

それでも、彼女は異食を止めない。

ヘイリー・ベネット、これまで目立った印象のない俳優だったけれど、ハンターは彼女にぴったりだと思った。こんなに魅力的な人だったのかと驚いたくらい。

 

人はすぐ忘れるのだけど、その人が言葉を発さないからと言って、何も考えていない訳ではない。抗議の声をあげないからと言って、同意している訳ではない。

力の強い、声の大きい、要領の良い人々は「それならばそうと言えばいいのに」と言う。「一体何が不満なんだ」と。

けれど、物言わぬ人は、女性であることや、経済的な後ろ盾がないことや、その他の様々な弱者性によって、黙らされているだけなのだ。

 

弱く、勝ち目のない立場に置かれた者にとって、最後の砦は、「死んでも思い通りにはならない」と言うことだ。

ハンターは「私の体は私のものだ」と無言の叫びをあげている。

そう言えば、最近見た「プラン75」もそうだった。

救いのない映画だったけれど、主人公の老女も最後の最後に反旗をひるがえす。「私の体は私のものだ」と。

 

人間は都合の良いロボットにはけしてなれないし、誰一人そんなものになりたくはない。

なのに、誰かを支配しようとする者は、あたかも相手が意思のないロボットみたいな存在として自分の都合の良いように右に左に動いてくれると思い込んでいて、相手がノーを言おうものなら、まるで不当な被害をこうむったかのように、驚き、これまでの上品な仮面を脱ぎ捨て逆上して、相手を罵倒しさえする。

 

しかし、どんなに怒り狂おうとも、誰も誰かを命丸ごと思い通りにすることなんてできない。

人間は機械ではないのだ。誰もが意思と尊厳を持った一人の人なのだ。

ラストシーンが女子トイレなの、最高にエッジが効いてて大好きだ。

これはフェミニズムのすごい映画。