続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

中道右派さんへの返信の返信、への返信。

返信への再びのリアクションをありがとうございました。

私も同じ思いで、こういう政治的な話題に関しては、おそらく意見が違うんだろうなーという身近な人たちには、どうしてそう思うのかを詳しく聞ける機会ってないから、今回の貴重な機会はとても嬉しかったです。

個人的にメッセージのやり取りをさせていただいても全然良かったのですが、せっかくだから公開にしたら面白く読む人もいるかもしれないな〜くらいの気持ちで、オープンにさせていただきました。

 

私も少しも気分を害したりすることはないです。すごく新鮮だし、なるほどと思うことがいっぱいで、感謝してます。

もちろん、価値観が同じ方が話は早いし、快適で安全だとは思います。

でも、違う価値観に触れて、自分が変わったり、ぐらつくことは私には本当に面白く刺激的なことです。

今は分断の時代とも言われ、違う価値観の人と対話する訓練を皆が積まなくては、もうどこにも行けないという段階に入ってるのではないでしょうか。

 

で、返信の返信を読ませていただいて、こういう言い方は語弊があるのかもしれませんが、私と中道右派さんが見ている世界があまりにかけ離れているのが面白くてちょっとわくっとしてしまいました。

 

そして、私は私なりにロジカルに書いているつもりのことが、中道右派さんには相当な変化球すぎるのだということがすごく伝わってきました、笑。

私は前述した通り偏ってますし、一般的な左派リベラルというわけでもなく、多分結構な独自路線なんだろうと思います。

日頃から共感し、考えを参考にしている言論人は何人かいますが、基本は自分の実感に基づく考えを正直に書きたいと思っています。そんなわけで、中道右派さんをカオスに引き込んでしまったようで、申し訳なく思います。

 

そんなめんどくさい私に、丁寧に考えを教えていただいてありがとうございます。

自分が自明と思っていることに対して、あまりに異なる意見に接すると、つい自分の都合の良いように解釈してしまいしがちです。

でも、こうして詳しく説明してくださると、おっしゃることの筋は通っているし、考えて納得した上でこういう意見をお持ちなんだなということがとても納得できます。

 

ただ、いただいた意見の相違について、また逐一私の考えを挙げていくことは、もちろんできるのですが、これ以上は水掛け論になるのではないかというのが私の考えです。

私の個人的な印象を大雑把に言わせていただくと、カメラアイのついている位置が違うのだな、と感じました。

中道右派さんの説明を読んでいて、安倍さんや政府の側にある人から見た正当性が丁寧に語られていたと思います。もちろん一理あると思います。

私は自分自身が小さな庶民だから、いつも権力ではない側につきます。それは私の基本方針のようなものです。

時々引き合いに出すのですが、村上春樹がスピーチで語った言葉の中に「もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます」というものがあります。

私の心には、いつもこの言葉があります。

 

改めて先ほど読み返してみました。この言葉は次のように続きます。

もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます。

 

そう、どれほど壁が正しく、卵が間違っていたとしても、それでもなお私は卵の側に立ちます。

正しい正しくないは、ほかの誰かが決定することです。

あるいは時間や歴史が決定することです。

もし小説家がいかなる理由があれ、壁の側に立って作品を書いたとしたら、いったいその作家にどれほどの値打ちがあるでしょう?

(中略)
私がここで皆さんに伝えたいことはひとつです。国籍や人種や宗教を超えて、我々はみんな一人一人の人間です。

システムという強固な壁を前にした、ひとつひとつの卵です。

我々にはとても勝ち目はないように見えます。

壁はあまりにも高く硬く、そして冷ややかです。

もし我々に勝ち目のようなものがあるとしたら、それは我々が自らのそしてお互いの魂のかけがえのなさを信じ、その温かみを寄せ合わせることから生まれてくるものでしかありません。
考えてみてください。我々の一人一人には手に取ることのできる、生きた魂があります。

システムにはそれはありません。

システムに我々を利用させてはなりません。

システムが我々を作ったのではありません。

我々がシステムを作ったのです。

 

(2009年2月21日 村上春樹エルサレム賞受賞スピーチ「壁と卵 – Of Walls and Eggs」より引用)

 

詳細についてどちらがより正しいかを言いつのっても、決着はつかないだろうと思います。

ていうか、究極的には何が正しい、何が真実かだなんて、私のような小物に分かるわけはなくって、村上さんの言う通り、時間や歴史が自ずと明らかにする時を待つしかないのだと思います。

それぞれの信じる正しさ、信じたい正しさがあり、私は中道右派さんのご意見をしっかり拝読させていただきました。逐一答えなくて、ごめんなさい。

 

何よりも、考え方は全然違うのに、お互いに同じことに心を痛め、想像し、同じ願いを持っているということを知れたことが、本当に嬉しかったです。

分かり合うことはなかなかできなくても、その同じ願いに向かって共に協力することはできる。そこに希望を感じています。

 

一旦筆を置きます。長々とお付き合いいただいて、本当にありがとうございました。