続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

娘氏の学校のこと

昨日娘氏は、朝遅れて学校へ向かったんだけれど、横浜に着いてもなんか降りられなくて、そのまま終点の古河までじっと座っていたらしい。で、そのまま折り返して帰ってきたのだと。えー!?古河って、栃木じゃないか。はーー。

 

やっぱり今の高校は続けるのは無理かもしれないなあ。

親としては高校生という身分で、一応通う場所があって、そこがそこそこ楽しくて家族以外の人とたくさん関われて、その中でモラトリアムの期間を過ごしてくれたら上出来というくらいの思いでいたのだけれど。

娘氏の学校はそんな風にのんびり過ごすことはどうやらできない場所みたいである。

高卒資格のための通信制のカリキュラムをこなすという縛りがあると、そのための詰め込み的な勉強にずっと追いかけられることは避けられない。

ぶっちゃけ高卒資格要らんのだけれどな。担任とも電話で相談したものの、こちらの思いを理解してはもらえなかったし、折り合いのつけようがないのだった。

 

夫は「完璧に理想的な環境はないし、折り合いをつけるっていうことを彼女もどこかで学ばなくちゃならない」と言う。彼女は潔癖でオールオアナッシングなところが以前から課題で、なのでそれも本当にもっともだと思う。

しかし私としては結局のところ、どう好意的に解釈しようとしても、娘氏の高校の「教育を商品として売るビジネス」というスタンスには、本心からは賛同しようがないのだ。

そんなのはやはり間違っていることだと思うから、娘氏が今の高校になんとか適応しようとしてできないことを、責めたり発破をかける気持ちになれない

 

この高校では威圧されることも、同調圧力に苦しむことも、ナンセンスな押し付けをされることもなく、教師は皆若くフレンドリーでよく話を聞いてくれる。

それは確かに良いことなんだろうけれど、当然、学校の学びの質とは関係がない。

今の高校の利用できる部分だけ上手に活用すればいいと思っても、全ての道が「即戦力になる人材を育てる」というマインドに通じている。

自分の強みを見つけて磨き、この殺伐とした競争社会を勝ち抜くビジネスパーソンになるのだ的なプレゼンスをなにかっちゅうと求められる。

そんなものに興味も持てないし、そんな人になりたくもないから、とても疲れると娘氏は言う。

 

この学校における学習とは、本質的な「学び」ではなく、ある種の実利的なスキルの提供である。

今の世の中の狭い価値観の枠内で、より良いポジションを獲得しようとするための椅子取りゲームみたいな勉強。「ぼんやりしてると取り残されて大変なことになる」と脅されて。

そのようなモチベーションでは、どうこねくり回そうが、豊かな知的好奇心が湧き上がることなんてないと思う。

知的好奇心とは、自分の狭い枠組みを壊して新たな見方を得て、ひとつひとつ広い世界のことを知っていく果てしない旅の中からしか生まれないのだから。

 

「向かないこと、嫌なことを適当にこなすことを練習する場なのかなと思っている」

「この学校では、皆発表の時にプレゼンするビジネスマンみたいな話し方をする。それを否定する気はないけれど、私自身はあんな話し方はしたいとは思わないし、そういう人を目指そうとも思わない。でもずっとこの中にいるとだんだんその仕草が移って、彼らに似てくる気がしていて、やだなあと思うんだ」

と娘氏は言う。私は返答に窮する。

 

今の学校になんとしても通い続けて欲しいとは思わないけれど、手元に選択肢がない。

競争や格付けや功利性から自由な学校って、今のこの国では見つけるのは至難の技だ。てか、そんなこと口にしようものなら、何を理想主義的なこと言ってんの、と非難されそうだ。

中にはそんな学校もあるのだろうけれど、枠もごく限られている上に、お金もすごくかかるのだ。

うー難しい。今後どうするか、考えていかなくちゃならない。

今月末、夏の保護者面談がある。担任にこういう話をしても、ベースになる世界観がかけ離れているのだから普通に噛み合わないだけだろうと思う。もちろん「それを承知で入学したのですよね」と言われるとこちらは返す言葉がない。

それでも何か良い妥協案はないか、先生に相談して、共に模索してみるしかないのかなと思っている。