続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

短かき静かな暮らし

しばらく末っ子と2人きりの暮らしを楽しんでいたのだけど、兄妹旅行をしていた上の2人が関西から戻ってきて、昨日夫も出張から戻ってきて、我が家はまた5人体制になった。

末っ子と自分のことだけ考えていれば良い暮らしは実に気楽であった。

末っ子の好物だけこしらえておいて、あとは基本一緒にごろごろして存分に構ってあげる。合間に私は気楽でちょうどのひとり分の食事をちょちょっと作って食べる。

できる時にできるタイミングで家事をする。夕方涼しくなってからふらっと自転車で出かけて末っ子をのんびり時間を気にせず遊ばせる。なんかのびのびゆったりしていた。

 

今回新たな発見だったのは、十代の子どもたちはもうすっかり手が離れて、自分勝手にやっており、私も彼らを放置しているという感覚だったのだけど、彼らが家にいないことでこれほど心が落ち着いて、安らぐんだと知ったこと。

十代というのは、存在が騒々しいのだ。

ああーーバイトまで時間ない!今すぐに食べられるもの何かある?とか、

あれが見当たらない、うあーどうしよう、知らない?とか、

ねえねえねえこれめっちゃ良いからこの動画見て!とか、

いつまでも起きてこないとか、

いつまでも寝ないとか、

いつまでも風呂から出てこないとか、

ご飯だよ!と声をかけてもいつまでも食卓に来ないとか、

そこにいるのに何も手伝わず寝っ転がってるとか、

音楽を部屋でがんがんかけていてやかましいとか、

今って何時?今日って雨降るんだっけ?とか、

メガネメガネメガネ!メガネがないー!とか、

そういう小さなことたちが、呼ばれる都度自分を後回しにして、我慢したり、合わせたり、一緒に焦らされたりすることが、積もり積もってかなりなストレスになっていたのだなあ、ていうか日々のイライラの大きな原因のひとつだったんだということを、いなくなってみて初めて自覚した。

 

最小限の家事で家の中は静かで心地よく整っていたのに、早朝に深夜バスで帰ってきた子供達がワーワーと家に乱入してくると同時に、山のような荷物がリビングの床に広げられ、お菓子を食べ散らかした包装紙が食卓で盛大に散らかって、あっという間に雑然とした汚い空間になった。

そして私は早速くるくると考え始める。彼らのご飯はどうしようかな、旅行中の溜まった洗濯物を出させて早いとこやらなくっちゃとか、バイトや高校はいつから始まるんだっけ?とか。

私はどうだったー?とみやげ話を聞く。良かったね!いいじゃんいいじゃん、と笑顔で感想を述べる。末っ子は嬉しくって柵に手をかけてお猿さんみたいにぴょんぴょん飛び跳ねて奇声を発している。元気で楽しそうで良かった。あー賑やかだなー。

同時に心の中ではがっかりしていた。

ずっと独りなら寂しく思うのだろうから、ないものねだり。でもこんな秒でカオスに逆戻りするのか!とびっくりした。

逆に夫が帰ってきた時は、ご飯の手間は増えるけれど、基本自分のことは自分でやるし、目についた家事はついでみたいにささっとやってくれて、余計に散らかすこともない人ので、ずっと負担感は少なかった。

これ、もし妻になんでもやってもらって当然みたいな夫だったら、だめ押しみたいになって心折れただろうな。想像しただけできついな。

 

そういうわけで子らよ、母は君たちのことは大好きだが、育ったらすみやかに巣立っていくが良かろう〜、と思った今回のことだった。