続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

参院選について③権威主義のこと

アメリ最高裁で、人工妊娠中絶の権利を認めないという判決が本当に出てしまった。

全米50州のうち、南部中西部を中心とした各州では今後、レイプであろうが近親相関であろうが中絶は許されなくなり、同時に避妊やまともな性教育も禁ずるという信じがたい方向に進んでいく可能性がある。

中絶はどれだけ抑圧しようが無くならない。安全な中絶のルートが塞がれることで、多くの人々の身体と人生が危険に晒され、亡くなる人も間違いなく出てくる。

これらのことを、もちろん最高裁判事たちは分かっていて決定を下している。

子供の頃に憧れた自由の国アメリカは、どこへ行ってしまったんだろう。悲しい。

 

中絶に限らず性のことは、とても難しい問題だと思う。人間の動物としての身体的本能が分かち難く介在するからだ。いろんな宗教、いろんな考え方があり、それぞれに一理ある。

性のことは、こうすればいいという簡単な答えはなく、考え続け、擦り合わせ続けなければならないことがたくさんあると思う。

けれど揺るがぬ前提として、私は人が国家の下に置かれる社会は嫌。誰もが自分の身体のことは自分で決められる権利を持っているのが当然と思う。それ以上でも以下でもない。

妊娠出産は、当事者にとって極めて個人的なことで、全員に個別の事情や状況がある。「例外なくこのルールに従え」というような雑な対処ができるようなマターではそもそもない。

 

日本でも中絶はいまだに相手の同意が必要とされ、アフターピルの一般販売認可は遅々として進まず、強姦罪は加害者に有利で、今もありえないような無罪判決がたびたび出続けている。

日本も性に関して産む性を持つ人の人権と安全が保証されている環境であるとはとても言えない。

アメリカでも日本でも「胎児にも命がある」といういかにも倫理的な主張をするわけだが、もちろん心底そう思っている人も中にはいるのだろうが、実はこのことの本質は違うところにあると思っている。

あえて語弊を恐れず言い切ってしまうと、そこには妊娠する人に相手男性や社会の許しや承認を得ることなく自己決定させたくないという強い意思が存在しているように思う。

妊娠する側の人間を、常にコントロールできる立場におきたい。自由意志を行使する手綱を渡したくない。

宗教的、倫理的価値観に基づいた主張は隠れ蓑で、本質は父権的、権威主義的な社会を求める心から起こっていることなのだろうと。

だからこの国は、政治を背後でコントロールするカルトの存在はあるが、実質国民的宗教を持たないにもかかわらず、同性婚夫婦別姓もこれほど頑なに認めたくないんだと思う。

 

アメリカ共和党や日本自民党に限らず、権威主義的で独裁志向の政治の台頭は世界のあちこちで同時多発的に起こっている。

独裁志向の彼らを「保守」と呼ぶのは、あまりに日本語として間違っているのでもうやめたい。右翼と左翼という雑な分け方も、物事を見えにくくしている。

東京工業大学教授の中島岳志さんが言っているように、個人の自由を尊重し、国家が干渉すべきではないという考えのリベラル(自由と寛容)の対立軸は、権力や権威に対して個人や組織は盲目的に従うべきとするパターナル(権威主義、家父長制)であるという考え方のほうがよりしっくりくる。

 

世の中の空気は、今日も本当にぼんやりしている。

なんだかしっくりこない、何かがおかしいし、物事はだんだん悪くなっていっているという、漠然とした不安の感覚はある。

けれど、じゃあどうすればと聞かれても、何のアイデアもない。だからぼんやり佇んでいる、そういう感じ。

 

皆、自分をまだそこまで弱者ではないし、貧困ではないと思っている。

けれど、欲しい本を定価で買うのをためらったり、疲れても自由に外食ができなかったり、服をほとんどユニクロかGUか古着屋でしか買わなかったり、何でもまずメルカリで買おうとするのは、自由意志とか趣味ではなく、幅寄せされてそうなっているのであって、それは現代の貧困の暮らしである。旅行に行くのは、多くの人にとって一昔前よりとても贅沢なことになっていると思う。海外が遠い、遠い。

私も立派な貧困のひとりだ。

 

安倍一強と長く言われてきたし、今の自民党権威主義的な「強いリーダー」を心強く思う人もいるのかもしれないけれど、彼らが実際にやっていることは、外交能力なくひたすらアメリカに追随し、金をばらまくことで何とか先進国の仲間にしてもらおうとするポチ的行為。

国内的には、国民一人ひとりの労働力とこの国の公共の富を、富裕層と権力者が「合法的」に盗み続けて、せっせと自分の資産に付け替えることを、自らの保身と引き換えにアシストすることばかりだった。

これが、一体どのような文脈で見れば、強く頼りがいのあるリーダーということになるんだろう。

 

全部自己責任の社会で不安だから、誰かに断言してほしい、決めてもらいたい、それで不安を解消したいという衝動に突き動かされそうになる。

でも、独裁者は威勢の良いことだけは言うが、何かあっても弱者を助けることは決してない。自分の保身だけはかって、さっさとどこにでも逃げてしまう。そう歴史は教えてくれている。

どれだけ不安で苦しくても、威勢の良い、耳触りの良い言葉は、現実には何ひとつ解決しないことをよくよく分かっておかないといけない。

独裁者ができることは壊すことだけで、いかにも威勢良く見えるが、それはこれまで積み上げてきたものを台無しにしているだけ。そしてあとは知りません、よろしく、だ。

オリンピックも、当初予算の倍以上を使い、多くの人々の住環境を壊し木を切りまくって、2週間使った後はあるだけで年々赤字を生む大型施設をたくさん残した。

数々の不祥事も差別発言もあったが、なんの反省も検証もなく、さあ次は札幌だ、わっしょいわっしょい!と言っている。

維新は大阪の公共を壊しまくっていることを改革と呼び、次はカジノで身内だけ儲けようとしている。町が荒廃しても困窮する人が出ても、彼らは本当に別に良いのだと思う。

この国では、公共を私物化して強引に自分に利益をもたらす少数者の得になることだけやる泥棒みたいな人のことを、「強いリーダー」と言っている。

 

今回与党が大勝したら、国を挙げて白昼堂々と火事場泥棒みたいなことがこれまで以上にどんどん立て続けに起こるだろう。与党であり続けることで、どこまで壊れて行くのかな。

数年後には、疲れた貧困の焼け野原が広がっているんだろう。

そんなのは嫌だと思うから、私は投票する。

物事は辛抱強く、少しずつ良く変えていくしか仕方がないんだ。