続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

帰省2022

初の家族5人での帰省旅行が無事終わり、昨夜、夫婦と末っ子の三人は関西の実家から戻ってきた。長時間の移動でさすがにへろへろで、今日は静かに整える一日。余力があれば掃除する。

息子氏、娘氏は二人一緒にさらに一週間ほど旅している。3日間は京都、その先は未定。そんなに仲良かったっけ?と思うけど、いずれにしても兄妹での旅行なんて、最初で最後の機会になるだろうと思うので、楽しく過ごせるといいなと思う。

 

とにかく1秒もじっとしていない1歳児にてんやわんやで、実家の家族とはちゃんと話ができた気がしない今回の帰省であった。仕方ないとは思うが、帰省って結局毎回後悔が残る気がする。父とはこれが最後になるのかも、と思うのに、ちゃんと話せないで終わる。

今回、私が頼んで夫に父をちょっと撮影してもらった。私はほんの思いつきで言ったけれど「撮って」とあらたまって依頼されれば学校行事でもなんでも、仕事モードに入ってしまう、何か適当に撮るというのはかえって難しいみたいである。「撮るなら撮る、撮らないなら撮らない」

結局、2回に分けてサシで合計1時間半もじっくり話を聞いてその話をカメラに収めていた。

今では車椅子に座ったまま日がなうとうとし、ほとんど言葉を発さない父と、よくそれだけ長時間向き合えるものだと驚くが、彼は慣れているのでむしろ2人だけにしてもらった方が助かると言われ、私は手伝いもしなかった。結局私はいつもより更に父と話さないで終わった。

父には、疲れたら無理せずやめてもいいよと何度か言ったけれど、結構強めに大丈夫だと言っていた。見るからに疲れていたけれど父は話したそうに見えた。

誰かがじっくりと自分の話に耳を傾けてくれることが嬉しかったのかもしれない。

後で夫にちょっと尋ねただけでも、聞いたことないようなエピソードが出てきて、私はやはり彼のことをなんにも知らないと思う。映像を見るのが怖いような、億劫なような気持ち。

 

自分の家に帰ってきて、いつもの朝ごはんを食べて、私はとてもほっとしている。ホテルも旅館も懐石料理も、まあいいんだけれど、やっぱり家の方がいいと思う年に私もなったのだなあ。若い頃は、ずっと移動し続けて、そのまま死んじゃってもいいくらいに思っていたのに。

今回は久々に夫も一緒の帰省だったので、自分にとってこの世で一番近い存在は、もう生まれ育った家族ではなくて夫なんだなと実感することが多かった。生まれ育った町も、もう遠く、ほとんど親しみもない。かといって、今暮らす町が自分のホームという感覚もない。

この根無し草感って一生続くのかしら。他の人々はもっと地に足着いた感覚なのかしら。

心もとなくても、自分なりに今日も幸せだったと思えたらまあいいのか。

好きなことを好きなようにやって、お互いをまあまあ理解しあえる人と一緒に過ごすのが人生の幸せなのだから、そう思える人とまだまだ出会いたいって思うし、そういう人と過ごすこと、気持ちのままに好きなように過ごすことを今日も最優先していく。