続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

「サンダーロード」

Amazon | Thunder Road [DVD] | 映画

2018年アメリカ/原題:Thunder Road/監督・脚本・編集・主演:ジム・カミングス/92分

 

英語で「引く」っていう言葉が何に当たるか、ちょっと思いつかないんだよね、とだんなさんが言う。

日本語では、とても頻繁に使われる言葉だけれど。

 

いろんな映画を見てきたけれど、こういう人が主人公って、あまり見たことがなかったように思う。

誰もが「引く」男、それがこの作品の主人公のジム・アルノー。基本善意の人なんだけれど、致命的にずれていて、頑なで、話が通じにくい。ふとした言葉に思い詰めるし、激昂してしまう。

外見が分かりやすく障害者であれば、良し悪しはあれ、人々もそのような構えで相手に接するのだが、ジムは一見「ごく普通」に見える。

ジムには発達障害の傾向が色濃くありながら、なんとか懸命に適応して、警官という仕事に就き、家族もいる。

けれども、彼の抑えがたい特性や個性からくる言動は、時に周囲の人を怯えさせる奇行として映る。

人々は彼を見ているといたたまれず、漠然とした不快感が喚起され、なんとなく避けたいし、うとましく思う。

精一杯自分を抑え、気遣いしたつもりの自分の言動に人々が引くのを察知すると、ジムはあまりの屈辱と恥ずかしさに耐えがたくて、感情を爆発させ墓穴を掘るという悪循環を繰り返す。

この社会におけるごく常識的な人々から見れば、ジムが仕事も家族も失ったのは「自業自得」である。

自分たちは何度も情けをかけてやったのに、あいつは自分からぶち壊したんだ、それが彼に関わった人たちの言い分である。

もちろん、その通りに見える。この社会の常識的な視点を通して見てみると、悪いのは完全にジムだ。

 

でも、本当に自業自得なんだろうか?

見終わった後、深く考え込ませるものがある。

ジムにとってはルールが理解できないこの社会に、彼は必死に、やみくもに適応しようとしている。良き仕事人、良き夫、良き父でありたいという思いは痛いほど伝わる。

けれど、彼のアウトプットが自分たちが思う普通と異なり、気持ちが悪いし怖く感じられるので、人々はいちいち引いてしまう。

 

「引く」って、主観的にはすごく受け身な表現なんだけれど、実は断固たる排除なのだということが映画を見ているとよく分かる。

絶対仲間には入れてあげないし、対等な者として認めない。引くとは相手の存在丸ごと自分の領域の外にぐぐいっと押しやる、強く否定的な感情だ。

言葉にしないからといって、伝わっていないわけではない。そうされた人にとっては、とても理不尽で残酷な反応だ。

変な人と思われないように、必死に周囲に合わせて自分を抑えて笑顔を見せている人間にとって、そんな人々の態度がどれほどその人の心を傷つけ、無力感や自己否定の感情をつのらせ、追い詰めることだろう。

この国ではテレビや身近でもしょっちゅう「引くわ〜」という言い回しが使われている。一言で簡単にマウンティングでき、相手を硬直させ無力化する効果があるのかをみんなよく分かっているので、これほど便利に使うのだ。

そう考えると、とても卑怯で安易で、傲慢なフレーズだと思う。

 

ジムの属する共同体が、もし彼に全然引かなかったとしたら、おそらく彼は乱暴者でも厄介者でもない。

純粋で、無欲で、善意の人であり、共同体に愚直なまでにひたむきに貢献する人になるだろう。

 

今の高度に効率化された世の中は「普通の人々が普通のやりとりをし、普通の投げかけに普通のリアクションがある」ことでつつがなく動くことを前提とした、その価値観でがちがちに固められた社会だ。

効率的でスムースであるために避けがたく非寛容さが生まれている。その非寛容さは、効率を求めるほどに加速し続ける。

そんな社会が、彼を攻撃者に仕立てあげているようにみえる。

 

幼い頃から変わった子扱いだった、今もきっと変わってるって色んな人に思われているだろう自分には、ジムの「イタさ」って自分も一歩間違ったらこうだよなと思えて、わりと泣けるものがあった。

そして、何事によらず、「引く」という行為を封印していきたい。そのためには自らの弱者性に自覚的であることはとても役に立つだろうし、同時に色んな人がいることを知って一つひとつ学んでいくしかないと思う。