続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

生存戦略としての「みんなと一緒」

日本における「みんなと一緒」であることのプラオリティの高さ、それによっていかに精神的に安定するかについて前回書いたけれど、それほどまでに「みんなと一緒」を求めるのはなぜか?について、最近面白く読んでいる脳科学者の中野信子さんの著書からの論を引き合いに考えてみたい。

 

中野先生によると、「新しいことにチャレンジしない遺伝子」「みんなと同じでないと不安な遺伝子」「間違ったルールでもみんなが従っているから従うという遺伝子」が日本人は突出して高い傾向にあるのだという。

更に「他人の不幸、他人が罰されているのを見たい(シャーデンフロイデ)」、「(自分が損してでも他人を貶めたい意地悪さ(スパイト行動)」の遺伝子においては、日本人が世界一レベルで多いらしい。

うっわーなんてやな性格なのー、と思ってしまいそうになるが、それは性格の良し悪しや人間的成熟とは関係がないのだと中野先生は言う。

 

そもそも、外皮も柔らかく逃げ足も遅い弱い生き物である人間にとって、最大かつ唯一の武器が共同体を作ること。そのために人間には「群れたい」「家族や共同体を作りたい」という本能が元から備わっている。

そんな中、日本列島は災害が特に多く、共同体を作ってしっかりまとまらないと生き抜いてこれなかったという地理的・歴史的背景がある。つまり、日本に暮らす人々は生存のためにきわめて社会的になる必要があった。

 

悩ましいのは、集団を形成することは動物としての生存を高めるために必須の戦略である一方で、集団と排除・差別がセットになって必ずくっ付いてくることだ。

なぜなら、集団は必ず「ルール」を掲げる存在だから。

共同体とは、構成員の一人ひとりが知識やお金や労力などを少しずつ提供しながら維持運営するもの。その時に何もしないでただもらうだけの人があらわれたとする。

そういう人の存在を一旦認めてしまうと「自分も楽したい」という人は当然増える。誰も何も差し出さなくなったら共同体は崩壊する。

それを防ぐために「ルール違反をした者」は見つけ次第つまみ出さなければならない。

そのために「不当に得をしている人を見ると罰したくなる」本能が人間には組み込まれている。

また、人間を含む霊長類には、自分と同じでない者を警戒する「外集団バイアス」があることが知られている。そもそも「仲間」の起源は、「信頼関係のある者が持ってきた餌は安全だから食べられて、よそ者が持ってきた餌は食べられない」ことにある。

自分にとって安全な相手かどうかを確認する。そういう観点で仲間を見分ける時に、人は共通点や理解できるポイントを探す。しかし相手が異質で理解不能だった時に、生理的かつ無意識的な排除欲求が起こる。

こうしたことが、人が他者を排除したり差別したりする心理が発動する大きな要因だと中野先生は言う。いずれも「安全と生存をおびやかす存在から共同体を守る」行動様式だといえる。

 

 

集団と個人を天秤にかけた時、必ず個人が犠牲になるのが集団。

集団は大事だから、個人の犠牲は仕方がないとただ放置するわけにはいかない。

「集団の体裁を守る」ということを重視すればするほど、弱者や少数者の犠牲は高まる。高確率で暴力の犠牲になるのは女性と子供。

そして「世間体を重視すること」の最大のデメリットは性的虐待である。対外的に完璧にクリーンに見える集団においては、基本性的虐待を疑うべきだと主張する研究者もいるほどである、という。

 

しかしここ日本においては、とにもかくにも個人の意思よりも集団の意思の方が重要で、集団に属することこそが安泰の条件という精神風土がかなり強固に根付いており、それはいいとか悪いとかの問題じゃなくて、長らく必要だったからそのようになっているわけである。

だったら、「みんなと一緒」を求める心を批判したり否定したりしてみたところで、何も解決しないんだろう。

それありきと考え、真正面から抗わないソリューションが必要とされるのだろう。

 

さて、ではどうすれば集団の弊害をできるだけ少なくし、弱者や少数者が迫害されずに生きていけるのか?

この国では、少数者や弱者や、外国人など部外者と認定された者や、主婦や子供や貧者など経済的生産性が低いとされる者は、集団にとってのお荷物であり、発言の資格はないから大人しく黙っていろとされる。

彼らは「共同体の維持」をおびやかす、あるいは寄与しないとされる存在だから。

体制やシステムに対して声をあげる者や、目立って調和を乱す者や、個別に抜けがけをする者は、内容とは関係なく、憎み、罰して良い存在と認定される。

彼らは「みんなと一緒」を乱す不安をもたらす存在だから。

集団の増長や腐敗に対して有効に抵抗ができなかったり、排除や差別が大手を振って横行しないために、私たちが工夫できることはなんだろう?

 

人をある行動に駆り立てる心理の根底には「動物としての生存をおびやかされたくない」という不安と恐怖がある。一見そうは見えなくても「人間のあらゆる行動原理は、つまるところ生存確率が高まる選択である」という生物学的観点に基づいて考えると、不安と恐怖をいかに発動させないかが集団における人間の攻撃性を発動させないポイントになるのだと思う。

 

あらら、もうちょっとしつこく続く。