続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

今日の反省

今朝もまだ落ち込んでいる。

昨夜、娘氏にきつい言葉を投げかけてしまって、能面にしてしまった。案の定、昼になっても起きてこず。あーー。

 

私は娘氏よりずっとがさつで強い。

真に受けず右から左に聞き流し、結果がそれらしくまとまれば、途中のプロセスは自分の苦痛でないように適当に手を抜いて、相手の要求にはまともに向き合わずにとっとと片付ける。

「適当作戦」では対処できない過度の要求には、きっぱり憮然と拒否をしたり、聞こえてないふりをして逃げたり、「無理!です!」と、キャパオーバーをジタバタして訴える。

その図太さは、自分も40余年いろんな人生経験をくぐり抜けてきて、大抵のことは致命的なことにはならず大丈夫なものだと知っているからだし、誰かや何かにびびって不本意な要求をのんでみたことの結果も知って、今や他者の押し付けを真に受ける必要はないという基本認識に到達しているゆえである。

 

こうすりゃいいじゃんと強い人が言うのは簡単。

他人に言われてその通りにできれば苦労はない。

人の基本的な性格や、ものごとの感じ方は、一人ひとり全く違う。

自分を基準に「これくらいのこと」と考えてはいけないと、何度言い聞かせても、たびたび忘れる。

自分の被害者意識に気持ちがフォーカスした瞬間、自分を正当化してしまう、それがひどいことを言ってもいいという意識に繋がってしまう。

いつまでたっても小物の自分。

 

自分に言い聞かせるために今一度書き留めておく。

すっとそのように行動できる、言えるというのは、何かしら基盤となる思想がきちんと肚落ちしているからできるのであって、本人の実感が伴っていないことを表面的な行動だけ修正してみたところで解決にはならない。

もがいて、こうむって、痛い思いをして、自分なりの試行錯誤をして、自分なりの認識と実感にたどり着くしかない。

だから、ほとんどのアドバイスって役に立たない。

選択肢を一応言ってみる、自分の考えを一応提示してみる、その程度のことでしかない。

相手にとって機が熟し、あとひとつパズルのピースがはまれば、というタイミングにあった時のみ、アドバイスはアドバイスとしてそれなりに役に立つということなんだろう。

 

そして自分がこれまでの人々との関わりを振り返っても思うのは、求めてもないのに「正論」の叱咤や批判や分析をしてくる人や、やる前から無理だし無駄だからやめたほうがいいと「心配」してくる人は、結果的にほぼ無用だったということ。

それより、自分を何の根拠もなく信じて小さな長所を見つけてほめてくれた人たちの適当で呑気な優しさが、自分を長きにわたって支えてくれたこと。

 

私は頭で考えることにどうしても偏る人だが、意識してとりわけ家族には親ばか妻ばかでありたいと思う。

誰かに無用な圧をかけぬよう。そのためにはまず自分自身の機嫌をちゃんと取っていく。

 

むううう〜〜〜といまいちど自分に念を送る。

うし、気を取り直して午後は映画館へ行こ。