続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

生後649日(1y/9m/11d)

爽やかな風が吹く週末。でも、空気はどこか梅雨の気配を含んでいる感じ。

朝食の準備をしていたら、庭からほととぎすが可愛らしく鳴く声。思わず笑顔になる。

ご飯を食べた後に洗濯物を干していたら、今度は土鳩が「ホッホー、ホホー」と独特の抑揚で鳴く。あのこもった優しい鳴き声を聞くとほっとするなあ。

 

ここは緑の少ない町で、とりわけ海側は砂防林の松しか緑はなく、狭小住宅がきゅうきゅうとひしめいているのだが、我が家の庭は春を重ねるごとに木がわさわさで、ちょっとした森のよう。

特に引っ越し当初にほんの10センチほどの苗を100円で買ったユーカリは、今や5〜6mはゆうにある大木に成長してしまい、お隣にご迷惑をかけている。

あまりに高くて自力では切るに切れないが、今朝、電線にかかる部分だけでもとだんなさんが枝をカットしてくれた。近々植木屋さんに頼まなくてはね、と言い合っている。

 

末っ子は、1歳9ヶ月になり、私は早くも体力で敵わなくなってきている。

昨日の夕方、公園でめっちゃ活きのいい猟犬に引きずられるように散歩しているおじいさんを見かけて、とてもひとごととは思えなかった。

寝かしつけを兼ねている毎晩のお散歩、昨夜は末っ子は途中からぐずってベビーカーを降りて、自宅まで随分長い距離をずーっとトコトコと走って帰った。小走りで伴走していた私の方がへろへろになった。その後は、夜中まで興奮して暴れていた。

保育園のない日は、とにかく末っ子の体力を適切に消耗させねばならないということを最優先に考えて過ごしているこの頃である。

 

今朝は人気のない海辺に連れて行って、すっぽんぽんで放牧してみた。久々の海は、砂が熱く焼けていて、波も怖くて、楽しくなかったみたい。すぐに帰りたがったので、海のそばの公園へ移動した。

週末の公園はたくさんの子供で賑わっていた。あちゃー、こんなに子供がたくさん。でも海では遊ばないから仕方ない。

賑わいに思わずため息が出るのは、末っ子がとにかく誰かにくっついて回るからだ。

一人で黙々と遊ぶタイプではなくて、とにかく誰かと一緒にわいわいしていたい。

末っ子は、公園でよその年上の子供たちを見つけると案の定、ニコニコしてどこまでもあとをついていき、一方的に絡んでいくのだった。

何しろ1歳なので、ブランコも漕げないし、虫取りもできないし、ボールも蹴れない。なのに堂々と面前に立って満面の笑顔で彼らの行く先々の動線を塞いで回る。

だからいつも嫌がられてしまい、私は謝りながらギャン泣きする息子を引きはがしている。だーかーらー、人のいない所に行きたいんである。

 

最近は意思や行動に個性がわかりやすく出てきて、三つ子の魂百まで感を感じることが多い。3人の子供、同じように育てていても、本来の性格や嗜好はこんなにも違うんだなと思うことばかりだ。

悪いことをして、「めっ!」と叱ると、決まってにやっと笑ってなし崩しに持ち込もうとする仕草も、上の二人にはなかった。わりに要領のいいタイプかもしれない。

大人の行動をよく見て覚えていて、日々のルーティン的な動きについては、次に何をするか予測してさっと回り込む。サッカーに向いているかもしれない。

こういうところに性格の片鱗をみる。

 

言葉が比較的遅く、保健所で要観察扱いになっている末っ子だが、適当に場当たり的に発語していたのが、ここ一週間ほどで急に物と物の名前がかなり一致してきた。

家族の名前も理解しているし、朝のあいさつをあいさつのタイミングで言っていた。「おあよー」

言葉に関して、何かが彼の中で繋がった感覚を得たように見える。

自分の喋った言葉が通じて、大人が驚いて褒めると、得意げな嬉しそうな顔をしている。

普通に会話できるようになるのは、もちろん便利で喜ばしいことなんだけれど、あの可愛らしく可笑しなやりとりがもうじきに失われてしまって、普通の言葉ばかりを交わすようになるのかと思うと、なんだかすごくさびしい。

あの赤ちゃんはもうどこにもいなくなってしまうのかと思うと。もう名実ともに立派な子どもだ。

 

強い日差しの下で遊び疲れて、いつの間にか一人でこてんと寝てしまった。

さ、しばしひと休み。

 

夕立に帽子を濡らし帰りつくこどもは魚の匂いに充ちて 東直子