続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

これからの私たち

だんなさんと近所に新しくできたファラフェル屋さんでランチ。特にトマトとココナッツのスープとババガヌーシュがうまうまであった。これからもちょいちょいお世話になりそう。

大人数のグループがいて、まったり長居できる感じではなかったので、移動して、ソフトクリームをデザートにお茶をした。

 

最近我が家は色々難しかったので、子供達のいない場所で、一度落ち着いて、心を開いて、きちんとふたりで話し合う必要があった。

ということが、話してみてよく分かった。

「なんとなく、できれば、今日話したいかも」と思って私から声をかけたのだけど、そういうささやかな声、「今」という内面からのサインを、ついやり過ごしてしまうということは、夫婦に限らず、人と人の間ではいくらもある。

ほんのささやかな無為や不親切が、終わりの始まりになることも全然普通にあり得る。

そのようにして失われてしまった人やものをいくつも抱えている人生だ。今も思い出すたびせつなく悔やむ人もある。

 

今回はたまたま、内側からの小さな声をなんとかキャッチできるほどに気力があったし、肚も座っていたので、タイミングを逃さず対処できたという感覚がある。

間違えずに済んだのは、自分で自分を適度にケアできていたことと、いつも愛情をくれる子供たちの存在と、忙殺されていなかったことが良かったんだと思う。

そのどれもが欠けていても、きっと難しかったろうと思う。

それに結局のところ、夫婦の関係は、他の人たちのようには簡単に諦めるわけにはいかないのだ。

夫婦間でいろんな軋轢が起こるたびに、基本ふわふわ行き当たりばったり気味に生きてきて、いつの間にかそのような抜き差しならぬ関係を誰かとの間に築いてしまったということの重みにめげそうになるけれど、もう諦めちゃいたくなる瞬間もあるけれど、今回もなんとかかんとか踏ん張った、という気持ち。

 

このタイミングで向き合って話せたことで、色々と修復できた感覚があるし、互いの傷つきを少しは和らげられたように感じる。

だいたい、あらゆる推測や思い込みってかなりの確率で間違っている。

本人的には確信をもってそう思い込んでいるんだけど、いざ相手にただしてみると、大抵はそんなこと思ってもいなかった、というようなことが多い。

また、相手の嫌な対応を引き出しているのが他ならぬ自分だということに気付いてなかったりもする。

夫婦は何でもかんでも向き合うのがいいとは全然思わないが、だからって「あうんの呼吸」とか、「言わなくても分かっている」みたいな考えもファンタジーだよねと思う。

やはり人間、言葉にしないと分からない、気付かない、伝わらない部分って大いにある。

「それくらい分かってくれてると思ってた」ということも実は分かってないってことはままあるし、逆にその間抜けさや呑気さのおかげで一緒にいられるってところもある。

 

致命的になまでに重要なポイントが、実はこんな地味な日常の中にある。

こういうポイントで、何か自分に言い訳をして向き合うことから逃げることで、取り返しのつかないことも起こりえるのが人生なんだと思う。

分かりやすい衝突や事件ばかりがポイントではない。

ゆえに、日常を侮ってはいかんのだなあ。リラックスしつつも、感性を閉じることなく、お腹に力を入れて、自分なりにしっかり生きておかないといけない。

 

法律上の契約を交わしていても、信頼関係が失われてしまったら、あとは形骸化した寒々しいものが残るのみだ。そういう状態で共に暮らしていくことは、私にはとても耐えられそうにない。夫婦の関係って、親子と違ってとても脆いものだとたびたび思う。

でもだからこそ、惰性もあれど、あえて一緒にいることを選び続けることができたことを喜べるといいなと思う。

 

今回、夫との関係性のステージがまたひとつかちりと切り替わったような感覚を得た。

男女としての関係性はまたひとつ薄れ、これから待ち受けるハード・ライフに共に立ち向かっていくチームメイトとして、助け合ってやっていくというスタンスを確認しあったように思う。

これまで、分からないことがあれば大抵教えてくれ、なんでも私より上手にそつなくできた人なので、見上げて、安心して頼ってきた部分が大いにあった。

それが尊敬という気持ちにつながっていた面はあったけれど、彼の弱い部分に気付かない、受け入れないということにも繋がっていたんだなと気付かされた。

彼だって不安だし、怖いし、自信がないし、色々分からないのだ。人間そんなには強くないのだ。

そういう彼のネガティブだったり寂しかったりする部分を、本当の意味では私はろくに引き受けてこなかったのだと思った。

彼は基本自己完結的な人だから、そっとしておけば大抵のことは自分で処理してしまう。だから私はすっかりその状態にあぐらをかいて、ろくにケアをしてこなかったと思う。

でも、彼の考えや選択は基本的に尊重している。得であろうが損であろうが、それが彼の人生にとっての幸せなら正しい選択に決まっているのだということは、私はいつもきっぱり迷いなく思ってきた。

その考えを改めて言葉にして伝えると、彼は安堵しているようにみえた。

そんなことは、当然伝わっていると私は思っていた。

でも、彼はありのままの自分が受け入れられないかもしれないとずっと辛く不安だったのだ。

知り合って20年以上になるけれど、そんな程度だ。私たちはすごく違う二人なので、ソウルメイトみたいな関係にはきっとこの先もなれないんだろう。でも、違う良さもあると思いたい。

 

これからもいろんなことはあるだろうし、先のことは分からないが、ひとまず私たちはこの沈みゆく国で共に老いてゆく運命共同体を継続していく。

彼の弱さを愛おしく感じたこの感覚を、忘れないようにしたい。

頼ってもらっていいのだし、互いが安心して弱くあれるような関係になっていきたい。