続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

この国で年を取って行くということ

庭仕事や台所仕事のお供の最近のお気に入りは、「ホントのコイズミさん」(スポティファイ・ポッドキャスト)。

穏やかで愉しげで、真面目ぶらないけれど逸らさない手応えのある対話が、聴いていて心地良い。

一般人とはもちろん大きく違う人生だけれど、キョンキョン(あえて)という人が、今は55歳の中高年女性になって、こんなにリラックスして素敵なままにいてくれることは、私はとても心強いというか、彼女の存在自体が何か支えのようにも感じられるほどだ。

 

このところ、立て続けに男性有名人の自死のニュースが続いて、胸が痛い。

「何があったかは本人にしか分からないけど、同じ男として、彼らの苦悩が分かるような気はする。旬をとうに過ぎて高齢に差し掛かった男性が、その先から幸せに生きていけるというイメージが、今のこの国にはないんだよね。

ひと世代前まではかろうじてあった年寄りを敬う気持ちみたいなものも、今ではもう欠片も見当たらなくて、年を取って稼げなくなったら、疎まれてただただお荷物みたいな。

あらゆる分野での貧困化が人々をぎすぎすさせて分断し、互いを責め合う社会になっている。ほとんどの人にとって経済の不安も大きく、安心して暮らしていけるという感覚が持てない。

できるだけ長生きしたいなんて、とても思える社会じゃないもの。」

そう、夫は呟いていた。

 

さらに従来のジェンダーや父権型社会に対する人々の意識の変化も、男性にとって心温まる要素ではないだろう。

日本でも遅ればせながら、これまで長く黙らされてきた女性たちによる男性中心社会やレイプカルチャーに対する様々な告発が起こっていて、それ自体はもちろん大事なことだと思うし、犯罪行為を行ってきた人たちは当然今すぐ退場すべき。

けれど「悪気なく、あるいは気付かず黙って見過ごしていた」ということが非難に値する行為として位置付けられた時、ほとんど全ての男性が自らの加害性を認め、果てなき配慮と学習を求められる状況に置かれることになった。

誰もが多忙で疲れていて、不安を抱えて余裕のない状況だからこそ、そのしんどさは想像に難くない。

男だってつらい、と発言すれば、さらに糾弾される風潮でもある。

 

そんな閉塞感ある社会の中で、小泉さんは、静かで平和な雰囲気を漂わせている。

「自分は恵まれてるから大変な世界のありようが見えてない」という感じではなくて、まっすぐ社会のことに問題意識も持ち、怒りもするし、学んでもいる。

無理してネガティブなことは飲み込んで明るく振る舞っているという感じではないのに、とげとげしたものに対してもなんか向き合い方が優しい。

余裕があるということはもちろんあるとは思う。でも持てる者である自分を自覚して、できることを返していこうという態度は素直に美しいなと感じる。

個人的には、岸本佐知子さんやヤマザキマリさんなどもいてくれて嬉しい中年女性で、いつも著書を楽しく読ませてもらっている。

ロールモデルというにはおこがましいけれど、潔さと楽しそうな雰囲気をまとった年上の格好良い女性たちの存在は、これから50代になっていく自分には小さな希望だなと思う。

 

たしかに、男性においてはそういう存在が、身近にも公の人にも、なかなか思いつかないんだよなあ。尊敬する人や好きな人はいるが、男たちは皆どこか一様につらそうである。

自分さえ良ければいいと、他人から搾取して一人勝ちしてるようなぎらぎらした男たちは、楽しそう幸せそうというより、たんに欲深い猿山のお猿さんという感じだし。

 

「あくまで一般論だけど、女性は、ある程度の年齢になったら女性として見られることから自由になって、それを楽しんでいる感じあるじゃない。

男性は、『男でなくなったこと』を楽しめるような人が女性ほどは多くなくて、そうなると急にがっくりきちゃう感じもあるよね」とも夫は言っていた。

なんか男性が気の毒になってくるな。

 

今の日本で、男性が人生の後半戦を納得性をもって生きていくことは、なかなか容易いことではないのだろうと想像する。

うちのだんなさんもしんどそうである。

もうすぐ誕生日だから、息抜きに泊まりがけで千葉にサーフトリップにでも行ってくれば、と提案したのだけど、その元気もあんまり湧かないみたいだ。

 

今の我が家は、1歳の末っ子が家を元気に可愛く照らしてくれるのが本当に救いなんだけれど、それでも日々あちこち痛い体や生活の不安も抱えながら、日々踏ん張っているというのが正直な気持ち。

なんとか明るい方向を向いていかなくっちゃー、といつも自分を奮い立たせている。