続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

息子氏の恩師

鎌倉某所にて、息子氏のアンサンブルコンサート。レストランを貸し切って、プレイヤーそれぞれの家族友人と、歴代のトレーナーの先生方だけが観客のごく小さな発表会だった。

母としては歴代の先生方がわざわざ来てくれたのだから、もう少し仕上げろよなーと思わないではいられなかったが、本人としてはどういう会になるかも知らずに誘われて気楽にオーケーしたという感じだったので、当日のいくつかのサプライズに深く感謝すると同時に、だいぶ戸惑って申し訳なく思っていたみたいだった。

 

息子氏が小学生の頃に初めて楽器を手ほどきしてくれた先生が息子氏に贈ってくれた言葉、忘れないように日記に書き留めておく。

その先生は、小中学校時代に一番お世話になった先生だったが、息子氏は本当に彼女のことを慕っていて、妊娠出産で現場を離れてしまった後も、いつ戻って来てくれるかといつも心待ちにしていた。

誰にも頓着しない息子氏にはとても珍しい、というか高校を卒業した今となっては、後にも先にもそんな風に慕った先生はいない、ということになると思う。

親は特に先生と話す機会などなかったので、きっとよほど親切にしてもらったのだろうと想像していたが、今回初めて彼女の長い話を聞いて、彼女がとても率直で言葉に独特の力と熱を持つ人であること、息子氏の性格や性質を理解して、尚且つジャッジせず、彼にとって必要なものを授けようとしてくれていた人であったことを知った。

 

彼女が言っていたのは、このようなこと。

『初心者時代、マンツーマンで手ほどきをしていた時に、いきなり「ねえ、どうして僕と先生の音色はこんなにも違うの?」と尋ねられてびっくりした。普通は与えられた楽譜をどう読むかとか、間違えずに弾けたかどうかとかを気にするもので、そんな本質的なことを訊いて来た小学生は、後にも先にも君だけだった。

その時、この子は今は短い髪で外遊びで真っ黒に日灼けをしている小学生だけれど、ひょっとするとそのうち私たち演奏者のように、部屋に籠って長時間楽器を練習する時が来るかもしれないな、ひょっとすると、と思った。

 

今日の演奏を聴いて(きっと子供の頃から変わらず)自分が心から弾きたいものと、そうでもないものの明らかな違いを感じた。仕上がりは別にして、胸にまっすぐ届く音はラストの曲。

これから先、楽器をきわめていこうと思ったら、嫌だったりつまらなかったりすることをしなければならない時間は確実に増える。

その時、やってもやってもできないことで落ち込んだり、自分のできないことをできる他の人たちに落ち込んだり、できない自分を責めたりということがきっと起こって、行き詰まる時が必ず来るでしょう。

でも、全部ができないといけないわけではない。あなたのやりたいことを大事にしてください。あなたが心からやりたいと思う音楽を、自分のしたいようにやることを、認めてくれる人は必ずいる。できないことにフォーカスするよりも、君だからできることがあるということを忘れないで。』

そして先生は、携帯電話を買い替えるたびにバックアップして保存し続けてきてくれた、小学生の息子氏が初めて舞台の上で弾いた「風の通り道」の懐かしい、可愛らしい演奏を聴かせてくれた。

 

何年かぶりに会った先生は当然知る由も無いが、今息子氏は特定の運指の際に指が動かなくなる演奏家特有の症状に悩まされている。心因性のものと言われており、過度な練習の負荷による「できない」という意識の蓄積が関係していることが専門家に指摘されている。

そんな息子氏の今の状態と、どうすれば彼がブレイクスルーできるか、何が彼にとって良いことなのかということを、何年かぶりの演奏から先生は一瞬で見通したんだなと思った。

 

帰り道の車の中で、他に先生とどんな話をしたの?と息子氏に尋ねると、いろんな話をしていたが「指導者に師事すること」についての見解が興味深かった。

『スポーツの世界でもよく言われることだが、天才的に優れたプレイヤーは、何しろ出来る人々なので、「できないことがわからない」。だから彼らの指導はとにかくやってみて、練習を重ねて、といった事になりがちな欠点があると思う。

天才的でないプレイヤーはできなくて苦労をして工夫を重ねているので、できない場合のいろんなアイデアを持っている。

どんな指導者にも、それぞれのメリットデメリット、生徒との相性もある。

いずれにしても重要なことは、どの指導者についたとしても、その人が長期的な視点で自分にとって良い指導者だったのかそうでもなかったのかは、ついてみて何年か経ってみないと分からないものだし、なんなら離れてからじゃないと分からなかったりするということ。

ちなみに、この人こそがベストだった、と確信を持てるような指導者に、私はいまだ出会えていないけれどね』

 

すごい先生につくことが自分を上達させる道だし、すごい先生や環境に身を置けば自分を引っ張り上げてもらえるという息子氏の安易な楽観を、多分先生は見抜いたからそういう話をしたんだろうなーと思う。

そして、それを説教じゃなく、なおかつあんなぐだぐだな演奏だったにもかかわらず、息子氏のポテンシャルを少しも疑わない肯定感とリスペクトをもって伝えてくれるところが、もう本当に自分にはできない芸当だというか、こういう人を恩師というのだろうなと感服した。

 

そして、先生の言う通り、学ぶということに確実性はないのであって、何が功を奏すか、何がその人を損なうかは、もう本当に人やその時々によって変わってしまうのであって、正解も不正解もなければ成功の方程式もない。

学び、成長することを目指すことは、結局のところ、生きるしかない。

やみくもにもがくしかない。

その人の未来のことなんて、誰にも確かなことは言えないのだから。

そうして生きる中で、自分に良さそうだと思うことを自分なりに頑張ってやり、でもそれにも当たり外れはあり、偶然出会うものや人から何かのヒントやチャンスを得られたりする。

究極的には、運だと思う。

 

子供は、やはりいろんな人に育ててもらうのが一番だ、と改めて思う。

息子氏は私の知らないいろんなところでいろんな人と関わって、許してもらって助けてもらってここまで来れたんだろうし、これからもきっとそうなんだろう。

 

それらの恩はとても返せるものではないが、息子氏にはいつも素直で、感謝を忘れないでいて欲しいなと思うし、自分も他人に親切にし、与える人であってほしいと願う。