続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

今日を幸せに過ごすということを、目標にしてはいけないのか

娘氏からLINE。早退するー、とのこと。ハハ。

 

今朝、ツイッターで偶然目にした、吉藤オリィさんのつぶやき。

3年半不登校だった頃、言われて一番辛かった事は「将来どうする気?」だった。

昨日よりできる事が減っていく日々の中で先の事を考える事は苦痛で恐怖でしかなく何も出来なくなった

恐怖は好奇心と行動力を奪う。

先が見えなくて辛い時は今に集中しながら、少しずつ楽しめる事と憧れを見つけていく事だ(2022/4/21  吉藤オリィ@origamicatより)

 

ほんとだなあとしんみりして、あーあ、娘氏はよりによって一番つらいことをのっけから学校にされちゃったんだね、と胸がしくしく痛む。

 

夫に伝えると、ケリー・スレイター(サーフィンのレジェンド)がいつも自分に言い聞かせていたという言葉を教えてくれた。

Be calm. Be in the moment.

 

人は、きつい時ほど、今目の前にあることだけに心を集中して、手を具体的に動かすことで、何とか乗り切ろうとするものだ。

そうしないことには、うまく生きていけないから。

それなのに、鼻先に人参をぶら下げるみたいにして、常に少し先の将来のために今は不本意でも我慢せよ、ということを言う人ばっかりだ、今の世界は。

将来の成功やら栄光やらのご褒美やらのために、今は苦痛なことでも我慢してやれ、黙って従え、意味を問うな、考えるな、言われたことを言われた通りにやれ。

でも、その鼻先の人参は、老いて歩けなくなるまで、ずーっと鼻先にあるのだ。

 

どうして「楽しい今」を重ねていくことを、罪深いことのように思うのか。

楽しいことや、楽なことは怠惰や甘えで、苦痛に耐えてこそ何かを得られるみたいに思っている。時々そういう思いを内面化した自分にも腹が立つ。

 

私は、成長とか成功とか、どうでもええ。

今日、あの子が安心していて、笑って、感性が生き生きとしていてくれれば。

そんな日々の積み重ねこそがあの子の今日であり、未来に繋がっていくことなのに、

学校が、不安や恐怖で人を追い立てて、「この不確定な世の中をサバイブするために武器や戦略を持て」と言う。

今日を幸せに過ごすということを、目標にしてはいけないのか?

 

学校が、子供が抑圧されず、安心していることのできる、家族以外と過ごせる場所であって欲しいということだけ願って入学した。

そのささやかな願いを叶えることが、今の世界ではどうしてそんなに難しいのだろう。