続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

今、内面から噴き上がっているもの

昨日も今日も、弱い雨がしとしと降り続き、肌寒い。

昨夜の末っ子は、昼前に昼寝しだしたせいか、20時にはばたんきゅう。いつもは22時頃までぎんぎんだから、珍しいこと。

多いがけなく静かな夜時間だった。夜に睡魔におそわれる前にPCの前に座ることができたのも、久しぶり。本をゆっくり読める幸せ。

最近読んだ/読んでいる本。どれも良書だった。私はいつも、3冊ぐらい併読するスタイル。一気にはまり込んで読む時間がなかなか取れないから小説は少なめ。

「ひとりの体で」ジョン・アーヴィング

「兄の終い」村井理子

「愛情という名の支配」信田さよ子

「手づくりのアジール」青木真兵

「ムスコ物語」ヤマザキマリ

「短歌ください」穂村弘

「ブルースだってただの歌」藤本和子

 

 

日本映画界の#me tooの動きが気になり続けている。初めは業界関係者の間だけだったのが、日に日に動きが拡大して、他業界にも波及し、今では一般のニュース報道にまで広がり始めている。

この契機がしっかり生かされたら、社会は一歩前進すると思って、小さな希望を持っている。

 

それにしても、どうして私はこんなにもこのことが気にかかるのだろうと思っていて。自ら封印して忘れたみたいになっているおぞましい記憶が実はなにかしら私の裡にあるのかしら、と我ながら訝しく思うほどで。

でも、さっきamazon prime videoで「82年生まれ、キム・ジヨン」を1歳の子供を寝かしつけつつちょっと泣きそうになりながら見ていて、改めて腑に落ちた。

今日本で起こっている#me tooのムーブメントとは、具体的にどれだけひどい性的な暴力や嫌がらせをされたとか言われたとかいう、程度や具体的な性犯罪行為の問題だけではない。

多くの女性(男性の場合もある)の心を突き動かしているのは、かつて若かったり弱かったために強者から人間扱いをされなかった体験の癒されない悲しみや怒りの記憶だと思う。それが今回の一連のことをきっかけに、私や、多くの人々の内面から噴き上がっている。

 

肉体的な接触を伴う性犯罪や、明白な性的ハラスメントは当たり前に許しがたいことだが、そういう分かりやすいことだけではない。

例えば私がかつて若い女だった頃。

男たちからモノのように眺められ扱われ、望んでもいないのに性的な存在として勝手に値踏みされ、持ち上げられたり見くびられたり好き勝手ジャッジをされたこと。

若い女だということで一人前の人間と見てもらえず、まともに意見を聞いてもらえなかったが、同じ内容のことを隣の男性が言ったら一気に話が通じたこと。

権力や年齢や立場が上の男性に対して、気配りや、誉めや、一歩後ろに控えることや、何を言われてもにこにこ笑って受け流すことなどを当然のように求められ、男性が期待したサービスが受けられない時には、逆ギレすらされたこと。

あげ出すとキリがないが、こうした日常の隙間に無数にあるようなことを「経験したことがない」人の方が少ないはずだ。

そして、もう若くはない今もなお、納得のいかないことはたびたび起こる。

 

さらに、男性上位的な価値観を自ら進んで内面化して、自分も誰かを値踏みしたり、差別したりしたこと。

自分が未熟だから軽んじられるのだと自分を責めたこと。

男性社会の中で良いポジションを得るために愛想を振りまいたりおもねたりしたこと。

そういう過去の恥ずかしい自分と向き合わざるを得ない苦しさも日々感じる。

 

若かった頃、賢くも勇敢でもなく、自らを軽んじていた。被害を被害と、痛みを痛みと気付くことさえできなかった。

自分が歳をとって少しずつ学んで成熟して、あの時自分は不当に傷つけられて苦しんでいたのだし、堂々と拒否したり怒ったりしてよかったのだ、とやっと気付いた時には、あまりにも時間は経っていて、やるせない思いを抱えてぽかんと誰もいない空き地に一人立っていた。怒りをぶつける場所も相手もなかった。

 

だから、性搾取された女性について「自分を安売りせず、もっと自分を大事にして。仕事が欲しいからと言って誘いに乗らないで。男たちに馬鹿にされていることに気付いて。悲しむ近しい人の顔を思い浮かべたら、そんなことはできないはず」と、自らは毅然と拒否をした過去を持つ女性がアドバイスをしていたが、きっと環境に恵まれて、自己肯定感高く、周囲に尊重されて生きてこられた方だったのだろうなとうらやましく思った。励まされる人もいるのだろうが、私の個人的な感覚では、強者の正論と感じる。

そんなこたあ百も承知だが、それでも若い女たちは、表面上の意識や主観がどうあれ、社会構造によって、他に手段を持たせてもらえず、巧妙に幅寄せされるように被害の状況に置かれるしかなかったのだ、と私は思っている。

悪気があろうとなかろうと、性搾取を女性のせいにして語るのはもうやめないといけない。意識のアップデートが必要な時だと思う。

 

仕事現場における性暴力や性被害は、その圧倒的な力の差、閉鎖された空間の中ゆえに理不尽で、ものすごく奇妙で、曖昧なことも起こりうる。

毅然とはねのけ、かつその仕事から排除されることなく、実力で自己証明できる強さと能力を持った人ばかりではない。

むしろ、被害の当事者の大多数は、その弱者性ゆえに涙をのんでいろんなものに蓋をして、恥や傷を抱えたまま前に進むのだと私は思う。今回勇気ある告発をした人はほんの一握り。黙っている/忘れてなかったことにしている人の方がずっと多い。

その人がその瞬間にそれほど賢明で勇敢でなかったとしても、油断したり隙があったとしても、その人はなにひとつ悪くはない。

悪いのは立場や力を利用して、危害を加えたり陵辱した側だ。

当ったり前のことだ。

 

いくつかの血が吹き出ているような文章を立て続けに目にしたこの半月だった。自分の裡にある傷もそれに呼応するように鈍く疼き続け、彼女らの文章が胸に焼き付いて離れない。

今後、長期間その影響はついて回ることは避けられないことも承知の上で、思い出したくもないほどの辛い過去をさらけ出して、自分の人生をかけて告発してくれた人々の覚悟を思う。無にしてはいけない。

これからも、声を上げる人がせめてきちんと守られることは、本当に最低限のことだと思う。