続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

まずは自分だ

爽やかな風が吹いて、半袖でも良いくらい暖かい土曜日。

お散歩で近所の公民館の図書室でたんまり本を借りた後、傍にある小さな公園で末っ子を遊ばせる。公園周りにいる親子連れは、私たち以外は全員お父さんと子供だった。時代の変化を感じるなあ。

スーパーに寄って、寝ぐずりする末っ子にパンをかじらせつつ家に向かっていたら、コテンと寝てしまった。ほっと一息。申し訳ないほどに平和だなあと感じる。

 

「変わること」についての考え、後少しだけ。

今回の映画業界のスキャンダル暴露の数々の中で、救われた気持ちになったのが、黒沢清監督のエピソード。

20年以上も前から、黒沢監督は決して自分の現場でパワハラセクハラを認めないことをスタッフに徹底しており、飲み会もほとんどやらないが、必要あって飲み会をしても、女性スタッフがいる前で猥談を語る人がいようものなら撮影現場より厳しく叱責された、と監督の元で働いていた人がSNSで語っていた。

「もし黒沢監督のような環境だったら、新卒で入った某製作配給会社を辞めなかったと思う?」と私が訊いたら、「うーーー、まあ辞めなかっただろうねえ。ほら、西加奈子さんの『夜が明ける』の主人公の世界、あれ誇張じゃなく全然リアルだからね。あの時は、ああこういう場所なんだと残念に思い、静かに身を引くしかなかったね」と夫は言っていた。

 

そして「どんなおかしなことであっても、大きな組織や社会構造を変えるというのは、現実にはやはり簡単ではないことだし、まともに巨大な社会やシステムと戦ったら、そのことに人生の時間の大半を奪われてしまうことにもなりかねない。

黒沢監督のように、外側や全体がどうあれ、自分が変えられるリアルな身の回りの範囲においては、つまり『自分の現場ではこうする』を静かに貫くということが、個人にできる最善の方法のひとつなんだろうね」と言っていた。

 

正しいことは明白で、でも遅々として変わらない現実に苛立ち、外側に向かって色々文句を言いたくなる。でも、まず自分の身の回りの日常が「こうありたい」になっているか。結構できてないよね、まだまだだよね、自分。と思う。はーー。

 

さ、そろそろ今日の昼ごはんのタコライスをこしらえるとしよう。