続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

清らかな結界

今日はこれから家族でお花見。普段連れ立ってお出かけをすることが少ない一家だけれど、なぜかこの花見行事だけは恒例になっている。

先週は末っ子が多分保育園でもらってきたノロウィルスで家族全滅でほうほうの体だったけど、皆復活して、老夫婦を中心に色々健康の懸念はありつつも、今年もなんとかみんな元気で桜を見られることに感謝。

テイクアウトお弁当は協議の結果、湘南フクモリ(https://www.instagram.com/shonan_fukumori/?hl=ja)に決定〜。

 

最近の印象に残った考え。

先週、かなり気合いの入った星野源好きの友達と会った時に「いやあ『おんがくこうろん』良かったよねー」という話で盛り上がったのだけど、彼女が言っていた話が面白かった。

それは、「今回の番組に限らずラジオでもなんでも、源さんは源さんがああいう佇まいであることでもって、悪い人やゲスな考えなどを寄せ付けないんだよね。だから一見すごく和やかで優しげに見えるんだけど、ある種の厳しさもある」という話。

ポリコレ的な考えを押し出すということではなく、その人がまず自ら友好的で人として品良くあることによって、どんな人が関わってくるか、どんな仕事がやってくるかが自ずと定まってくるというのは本当にそうだなと思う。

 

それでふと思い出した人がいる。

最近メディアでよく見かけるある産婦人科医の高尾さんというお医者さん。彼女も源さんのように柔らかくフレンドリーで、凛とした佇まいを持っている。

そして彼女は潔いモヒカンのヘアスタイルで、男性のスーツを着てネクタイを締めている。結構インパクトがあるのだけど、とても良く似合っているし、普通に堂々としているので、誰もそのことを茶化したりあえて尋ねたりしない。彼女が凛としているので、ワイドショーみたいな基本下世話な番組の中でさえ、誰も下世話なことを何となく言い出せないという感じなのだ。

高尾さんは高尾さんだ、以上。そう周囲に納得させるムードを持っている。

そして、源さんも高尾さんも、ただにこやかで品が良いだけでなく、一本筋の通った何かを感じさせる。それは友達の言う通り厳しさなのだろうと思う。

表立って主張するわけではない、裡に秘められたある種の厳しさこそがその人の尊厳を守る結界になっている。

 

しかし、本来誰に対してもそうあるべきだろと思う。相手が誰であれ、下世話な好奇心を野放図に発動することは恥ずかしいことだ。誰もを納得させる何かがあればもちろん素晴らしいが、それが感じられなければあなどって良いということにはならない。

 

なんでこんな嫌な人に嫌なことを言われるんだろう、そんな人ばっかりなんだろうということがしばしばあると感じる時は、自分自身が人間嫌いで人間を疑っていたり失望していたりする時なんだろうと思う。

しかし、自分がどうあれ相手に一方的に土足で踏み込まれて、自分もゲスワールドに引きずり下ろされるということもある。セクハラやパワハラが腹立たしいのは、相手が一方的に権利を有していると勘違いした対応をしてくる、この「通じなさ」ゆえなんだろう。

 

私自身は、年と共に向上心というものの上昇カーブはだいぶなだらかに(平坦に?)なってきている。あんまり高みを望む気持ちはないし、緊張感や厳しさよりゆるさと笑いがいいなと思うけれど、少なくとも自分を朗らかで善く保つということは、本当に大事だなと思った。少なくとも、一緒にいる人を暗くさせたらいけん。

その清らかな結界が自分を守ってもくれるのだから。さ、今日もご機嫌で。