続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

卒業式

今日は、娘氏の中学校の卒業式、らしい。

今、娘氏は相変わらず昼夜逆転のぐらんぐらんな状況ながら、何とか通信制高校の通学コースの切符を手にして、新学期を待っている状況である。

高校生活がどうなるかは正直わからない。だけど心理の先生にも「通学コース行ってみるべし」と背中を押され、フィットできない場合はコース変更もできるので、とりあえずやってみるか、ということになった。

 

それにしても中学校なー。

以前から、周囲の不登校の子どもを持つ親たちから「何としてでも卒業証書を手渡しで授与しようとする学校の謎」という話題が度々出ていて、かねがねやだなあ〜と思っていた。

娘氏にも分かっちゃいたが、一応意向を聞いたら「そんな形だけのものありがたがる理由がどこにもない。中学校に行っていたという実態がないのだから意味がないよね」と言っていた。

 

しばらく前に担任から電話がかかってきて、「皆と一緒の卒業式には参列したくないでしょうから、不登校の生徒に配慮して、別途校長室で卒業証書を授与する時間を設けていますので来てください」と言われた。ので、

「やー、うちは大丈夫です、お手数をおかけしますが、郵送で送っておいていただけると助かります」と言うと担任は「なるほど」と言った。そして少し考えてから「本人は手渡されるのは嫌なのですよね。では郵送かポストに入れておくというのでいかがですか」と言われたので、「わざわざ来てもらうのはお手数かと思いますが、うちはどちらでも結構です」と答えて会話は終わった。

 

とりあえずあっさり済んだと思っていたら、昨日になって外出中にだんなさんからLINE。学年主任から家に電話があって「どうにか担任と共に卒業証書を届けさせて欲しい」とお願いされたそう。夕方保護者が受け取ることで承諾したと書いてあった。

うっわー、噂通りやっぱりそこは諦めないんだ、とびっくりする。

全部の学校がそうではないんだろうが、卒業証書の授与にこだわるケースってわりに多いようである。

何度断っても袴姿で家までやってきて、玄関口に子供を呼び出して授与しようとした担任の話や、「本人は学校に行きたくないので、親が受け取りだけ行きます」と伝えたところ、学校へ行ったら校長室に通されて、中には学年の先生が恭しく並んでいて、その中で親が授与式させられた知人の話などが思い出されて、気持ちが沈む。

ここまでどういう日々を送ってきたか、本人や親の気持ちなんてどうでもよくて、なんとしても形にはめ込もうとする。

 

「素朴に分からないのだけど、こうして欲しいとリクエストしているのに、本人が来て欲しくないとも言ってんのに、どうしてそこまでしてやろうとするのだろうね」と私が訊くと、

「さあ?なぜかは分からない。でもそれで彼らの気が済むのならいいじゃない。末端の先生のやることに目くじらを立てても仕方がない」とだんなさんが言う。

 

でも私は嫌だな。実態のない中学生活、なんの実質的な交流もない人たちと形だけのセレモニーをやって、「おめでとう」とか言われ、「ありがとうございます」とか「お世話になりました」とか言い合うなんて嘘ばっかり。

「それくらいのこと」、ちゃっちゃと済ませたらいいじゃない、なんだとは思う。

でも、そんな大人のやり取りに娘氏は何を思うだろう。形だけ取り繕い、簡単に済んだことにされる。そんな「先生たち」の最後の振る舞いは、娘氏の心に苦い記憶を残すだろう。

 

もちろん、何を思って授与にこだわるのか本当のところは先生たち本人に聞いてみないと分からない。関わらなかった申し訳なさ、罪悪感みたいなものもあったりするのかな、とも思う。

それならそんなことを思わなくてもいい。全部は無理だし、プレッシャーをかけずそっとしておいてくれたから穏やかに過ごせた面もあったと伝えたい。

でも動機がどうあれ、子供本人の思いを無視して自分のやりたいことをごり押ししているという一点において、違うよね、と思う。

 

学校は、何もしなかったんだからそれでいいじゃないか。それ以上でも以下でもない。

 

さ、もう中学校のことは忘れて、末っ子のお迎えまで、読みかけの小説の続きを楽しく読もう〜。