続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

ジョコビッチのインタビュー、ワクチン、「違う」ことへの不安が攻撃に転化することなどについて

昨日、実家の母が電話でひとしきり喋った後、「これからお父さんの3回目のワクチン接種に行ってくるわ。3回目の予約はあっさり取れたわー」と言うので「そっかー良かった。気をつけてな〜」と言って電話を切った。

ワクチンについて主張したいわけでは全然ないのだけど、こないだジョコビッチのインタビューを取り上げていたワイドショー(バイキング)をたまたま見て、かなりもやもやしたので、改めて自分の考えを整理しておきたいと思った次第。

 

私は今のところワクチンは打たないことにしているが、打つ人に対する異論や反感は全くない。各々自分の考えで決めればいいと思っている。

集団免疫という観点から全員がワクチンを受けなければならないという意見については、ワクチンを打っていてもブレイクスルー感染する人がいる以上、ワクチンの徹底による感染阻止はできないと思うのだけど、どうだろう。

念のため、厚生労働省のQ&Aのページでブレイクスルー感染関連について読んでみた。この国の公式見解をまとめるとこういう内容。

①コロナウィルスは株が変異を絶えず繰り返すので、ワクチン接種をした後もブレイクスルー感染してしまう場合がある。そのため、ワクチン接種後も接種前と変わらない感染対策をしてほしい。

②変異株の発現を防ぐためにも、ワクチン接種と感染予防対策を徹底し、流行を防ぐ努力が大切。

③ブースター接種をしていれば、コロナに感染しても軽症で済む。

④重症化の人が増えることにより、医療崩壊を起こさないために皆がワクチンを打つことが重要。

 

つまり、接種後にコロナ感染しても軽症で済むという接種者にとってのメリットはあるが、ワクチンを打っても他人に感染させるリスクは無くならない。それでも、新たな変異株の発現を防ぎ重症化した人で病院が溢れないために、皆がワクチンを打ってほしいと書いてある。

 

だから欧州のように、ワクチンを打ったらマスクを外してどこでも自由に行って良し、というのは科学的事実とは別に「大丈夫ということにした」ということになるし、そもそもマスク自体が「大丈夫ということにする」というものである。マスクの実効性については、「それは言わない約束」みたいになって久しいけれど、マスクはそんな万能なものでは全然ない。

 

「既存のワクチンが効かない変異株」は、ワクチンに打ち勝つように適応して新たに生まれたウイルスなのだから、ワクチン自体が新たな変異株を生む要因になっていると考えるのが自然な理路だし、インフルエンザなどの他の感染症を説明する上ですでにそのロジックは広く採用されている。

そして、重症化した人で医療崩壊させないためにというのは、そもそも重症化率の低いオミクロン株において、日本における医療の逼迫は、病気そのものの異常な拡大というよりは明らかに(大阪を筆頭に)政治采配のまずさのせいでしょう、とまず言いたい。

 

くどくどしく書いたが、「集団免疫のために全員がワクチンを受けるべき」という論理はやはり科学的根拠が希薄なのではと感じる。

何より、誰もが自分の信念に基づいて自分の体に入れるものについて、自分で決定する自由がある。それは基本的人権だし、だいいちコロナワクチンは免責されているので、何かあっても結果は自分で引き受けなくてはならない。誰も責任は取ってくれない。

だから、受ける人を尊重するのと同じように、受けたくない人の存在も尊重してほしいと私は考える。

NYでは、ワクチンを受けたくないという意思表示をした市の職員1400人が解雇された。そのような二者択一を迫るのは行きすぎだと感じる。まるで踏み絵だ。

 

どうしてワクチンに関することは、こんなに自分の考えを自由に言うのが憚られるような状況にあるのだろう。

どうしてこんなにもイデオロギー色を帯びているのだろう。そこには何があるんだろう。

 

実家の母と話していても、ジョコビッチについてあーだこーだ言う坂上忍を見ていても思ったのは、「今世の中的に正しい振る舞いとされていること」にとりあえず従う道を選ぶのは、本当に楽だなということ。何の後ろめたさも葛藤もない。

もちろんよく考えて、納得して接種することを選んだ人は大勢いると思う。

でも、坂上忍は「自分は特にポリシーなんてないけども、打った方がいいって言うから打っただけであってね」と言っていた。

 

半月ほど前、テレビで奥仲さんという医者が専門家の立場から「ワクチンを打たない人は、自分だけは大丈夫だと思って打たないわけですけれども。特に深く考えていないわけです」とさらっと言っていてぎょっとした。

どうしてこの人がワクチンを打ちたくない人の理由を勝手に断定し、考えが浅いと断罪できるのだろう。「人によっていろんな理由がある」という当たり前の前提をどうして無視できるんだろう。メディアでは、このようにして偏見がステルス的に植え付けられていく。

 

私は、自分だけは大丈夫だからという理由で接種していないのではない。自分なりのバイアスはかかっているだろうけれど、それなりに時間を割いていろんな情報を集め、信頼できると思える専門知識を持つ人の話を聞いて、ワクチンの安全性に確信が持てなかったことと、副作用に関する情報とそれに対する政府の対応から、接種せずに様子をみようと考えている。もちろん、陰謀論なんて興味もない。

私に言わせたら、申し訳ないが、国がそう言っているからという理由だけで、ワクチンが何かもほとんど知らないままに簡単に打つ実家の母親の方が「深く考えていない」ように思える。

 

それでも、そういう人ほど、自分と違う選択をした人にざわつく。

自分で考えて納得して選択したなら、違う意見の人を前にしても「なるほど、人は人、自分は自分」と思えるのじゃないかなと思う。

だが主体性なくその選択をしたなら「私はやめておく」と言われると「え、ちょっと待って、自分は大丈夫じゃないの?」と不安になるのかなと思う。

誰もが自分は正しい選択をしたと思いたい。でも、自分と違う選択をした人を否定し叩いても、自分の正しさが担保されることにはならない。

 

そこには「違う」「理解不能」という不安が不快になり、攻撃性に転化していくという、暴力性のメカニズムがある。

坂上忍の、けして反論ができない遠い場所から安心してすごく無責任にジョコを批判しているさまをじっと見ていた。

「もちろん、ワクチンを受ける受けないは本人の自由意志であるべきですよ。でも彼の言い方が悪い。そして社会的に大きな影響を与える立場の人間として、コロナを軽んじた彼の行動はあまりに軽率だ。そんな自業自得な行いのせいでみんなの信頼が失われてしまうんですよ」

 

「みんな」を勝手に代弁するなと思う。こんな無内容で雑な批判、しかしジョコビッチは何か良からぬことをしている悪い人というネガティブなざらりとした印象だけは残って、そのままコマーシャルになった。

こうやって公の人はメディアにいいように印象操作されてしまう。怖いし、あまりに不公平なことだ。

 

そんな「言い方の悪い」「軽率」なジョコビッチが、英BBCのインタビューがこちら。

ワクチン接種は、おそらく地球上の半分の人々が接種された最大の努力であると思います。私はそれを十分に尊重していますが、私は自分の体に何を入れるかを自分の意思で選ぶ自由を常に支持してきました。

私はプロアスリートとして、サプリメント、食べ物、水、スポーツドリンクなど、私の体に入ってくるものすべてを常に注意深く評価しています。そして現状得られたすべての情報に基づいて、コロナワクチンを摂取しないことにしました。

私は現在、ほとんどのトーナメントに参加することができません。それは私が望んで支払うべき代償です。

どんなタイトルよりも、自分の身体のことを自分で決めることができることは、私にとって重要なことだからです。

彼の意見に対してどう思うかは、人それぞれだ。けれど彼は少なくとも、相当の覚悟をもってインタビューに臨み、落ち着いて、率直かつインテリジェントに、言葉を慎重に選んで話している。

これが「軽率で言い方が悪い」のなら、どこをどう直せばいいんだろう。

坂上忍は、結局「ジョコが多数派が従っているルールに従わないことが気に食わないから」、どうにか否定する種を見つけようと屁理屈をこねているように、私には見えた。

 

ワクチンのことに限らず、多数派が、自分と同じ理解同じ意見でないことに不安を感じて、それが不快感になり、やがて攻撃したくなるという群衆心理。コロナ禍では、それがより激しくいろんな分野で可視化されている。

私たちはそのことにもっと自覚的になるべきだとたびたび感じる。「違うもの」に対する不安や恐怖心に基づいたネガティブな感情を野放図に表現するのは、幼稚な態度だということを。

 

なんの葛藤もなく、楽に多数派であることを選んだ人々は、問いを持つということをしない。なぜその人がそのように考えるのだろうと想像力をはたらかせない。

そして、「人間同士は所詮分かり得ない」ということを前提に、そっとしておくこともない。

だからこそ、「私はそうは思わない」とただ静かに表明することが大切に思える。黙っていたら、彼らの思いたいように解釈されてしまうから。

 

うまく書けたと思えないし、誰かを不快にさせたかもしれないけれど、今私はそういうことを思っている。

いちいち考えて、自分の判断で決める人は今の世の中では「偏屈でめんどくさい人間」認定で、なにかにつけ生き難い。

この国では、波風を立てた人は反射的に怒りを向けられることが多いことも知っている。

でも、できるだけ納得して死にたいし、性分だからしょうがない。