続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

「ピクサーの舞台裏」①

ディズニー データベース Twitterissä: "【ピクサーの舞台裏】 ピクサーで働く様々なスタッフに迫る約10分のドキュメンタリー。  11/20配信予定のエピソードでは『ソウルフル・ワールド』の脚本家や、『殻を破る』の監督、『2分の1の魔法』の監督らが登場します。 第1話 ...

2020年アメリカ/原題:Inside Pixar/監督:Tony Kaplan , Erica Milsom/全20エピソード、1話各10分

 

ハリウッド的分業スタイルの映画製作、もっと言えば「独裁を極力排した集団芸術としての映画」において、ピクサーのもの作りは一つの理想形であり到達点なんだろうと感じてきた。もちろんピクサーのアニメーションが大好きということを大前提として、ピクサーという集団に対する興味は尽きない。だから、このシリーズはとても興味深かった。

以前、ピクサーがどういう組織づくりをしているのかについて書かれた「ピクサー流 創造するちから」というすごく面白い本があって、このブログにも感想を書いた。このドキュメンタリーシリーズは、この本のスピンオフ版といったところだ。

冒頭にも書いた通り、あらゆる芸術は本質的に独裁を志向する。文化は豊かで優しい、みたいな物言いは、確かにそういう側面は持ちつつも、本当はそんな甘いことではなくって、芸術が「好き」や「良い」をどこまでも追求する以上、暴力的なものを避けがたくはらまざるを得ないし、極めようとするほどにその暴力性は先鋭化・顕在化する。

だから、特に複数人で協働して創られる芸術ほど、そうした人間心理をよくよく踏まえていないといけないのだと思う。

 

その証拠の一つに、集団芸術の代表的な分野である映画や演劇の製作現場は、度を超したパワハラセクハラが横行しがちなことで有名である。

「芸術は所詮実際的な力を持たない抽象的なもので、政治や武力的なものよりも無害だし、同時に特別枠で扱うべき尊いものだ」という思い込みの元に、芸術が良い意味でも悪い意味でも「例外」化されたために、多くの暴力が見過ごされてきたことは今も昔も大きな問題だと思う。

 

最近のハリウッドでは、#Me Tooのムーブメントをきっかけに、それこそポリコレ側にぐーっと振れている向きがあるということは、「ウエストサイド・ストーリー」について書いた際にも触れた通りだけど、歓迎すべきことであると同時に、それによって起こるある種の過剰な萎縮、自粛、忖度といった動きによって、クリエイションの自由なパワーが削がれるということも起こっているように思う。

独裁的な手法によって創られたすごい芸術が存在することは事実で、私たちは知らずにそれらを享受してきている例がいくらもある。そこは人間の闇なんだけれど、だからと言ってそのような芸術のありようを肯定すべきだということにはならない。

誰かを暴力的に踏みにじっても守られるべき芸術なんてないというのが基本姿勢。(ダーレン・アロノフスキーの「マザー!」はそのことを描いた作品だったと思う。あの映画の中のハビエル・バルデムは究極に醜悪な芸術至上人間であり、監督自身を露悪的に表現したものだと思う)昔は良かったとかも安易に言うべきじゃない。

 

だからこそ、圧倒的な一人の天才の力ありきの映画製作ではなくて、人々がヒエラルキーなく協働し、各々が自由な創造力を発揮して、長いものに巻かれたりお金や権力や声の大きい人が決定権を握ることなく、マーケティングとか、万人受けするような無難路線に堕することない力のある作品を作り上げるということを、システムとして構築し長期間に渡って実現し続けているピクサーってほんとすごいとかねがね思ってきた。

世界に素晴らしい映画はたくさんあって、いろんな作り方があるけれど、ピクサーの映画作りには、芸術と人間の幸せな関係を模索するということに対する挑戦がある。

 

こう書くとまるきりベタ褒めみたいだけれど、今回ドキュメンタリーを見て、その思いを強くした部分もあり、逆にもやもやした部分もあった。色々なるほどーと思った。

映像って、良くも悪くも全部見せてくれるのがやっぱり醍醐味だな。

続く。