続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

2022年はケアについて考える

今読んでいるこの本、面白すぎて読み進められない。ぐはあ、となっていちいち本を閉じて、しばしあれこれ思い巡らせる、の繰り返し。精霊に捕まって倒れる | みすず書房

アン・ファディマン著/2021年/みすず書房

 

それにしても、自分にとっての2022年のテーマは「ケア」になるんだろうなと思う。この本を含め、最近は何を見ても読んでも聞いても、ケアに関連する考えに集約されていく感覚がある。

自分なりにケアというものをどう捉え、受け止め、行動していくのか。それが自分の抱える生きづらさに対するブレイクスルーの鍵なんだろうという漠然とした直感がしばらく前からあって、それは日々確信に近づいていっているように思える。

ケアを考えることって、今の世界観に対してなんてラディカルなことなんだろう。一見こんなにも地味で効率が悪いように思える「ケア」のロックさというか、パワフルさよ。ケアを考えることは、今一番わくわくすることだ。

 

だいいち、赤ん坊を育てるなんてそれこそケアのど真ん中であり、私はケア労働を中心に日々を生きている当事者のひとりでもある。だからもちろんケアについての興味は尽きない。ケアは日々の実践であり、ライフハックだから。

ケアの視点を通すことで世界の見え方ががらりと変わる。ケアの論理で語ることでこれまで信じてきたもの、正しく見えていたものが真逆の印象に変わる。既存の価値観が揺さぶられて、ふわふわするし、反省もするし、めっちゃ痛快でもある。

自分なりの落としどころがつくまでは、当分はケアについて考え、思いを巡らしながら暮らしていくことになりそう。

 

ケアについての覚え書き(1)

 

この動画の中で、哲学者の永井玲衣さんが引用していた、政治学者の岡野八代さんの「ケアを自助に頼る政府への抵抗運動として考えたい」という言葉。

あらゆる強者の考えの押し付けへの対抗の言葉が、正論で論破するとか、はねのけたりやっつけたりというものになることに対しての不毛感がずっとあった。

結局互いが相手を狂っているかのように思って自分こそ正しいんだということを証明しようとして、力で勝って相手を制圧しようとする、スターウォーズ状態を繰り返すしかないのか人間は。

だから、自分は基本リベラル寄りの考えを持っているというベースがありながらも、結局右とか左とかもコインの表裏みたいなもので、より正しく、より強くということを競い合っている時点で不毛なんだと感じるところも大いにあって。

けれど、権力や力で相手を抑圧しようとするものに対して、あるいは自己責任や自助の論理で弱者を搾取し切り捨てようとするものに対して、「ケアの論理でもって戦う」というのは、つくづくすごい返し技だなと思う。正面衝突じゃなくて、合気道みたいで。

 

今の厳しく世知辛い世の中は結果が全てで、何か問題があれば解決しようとする、病気なら治そうとする、「じゃあこうすればいいじゃないか」的な姿勢が、賢く効率的で価値あるものと見なされてきた。「結果」を求める世界観。

けれどケアにより重きを置く世界においては、そもそも求めるものが今の新自由主義的な価値観とは全然違うから勝ち負けの対抗軸にもならない。

ケアとは、他者とつながっている「状態」であり、結果でなくプロセスそのものが価値だから。

 

強さや競争や効率や誰かを蹴落として勝つ、その厳しさに適応し、一定の勝利をおさめなくては生き抜いていけないみたいな、ディストピアすぎる世界線に対抗するものとして、いつだってケアの視点を通して世界に向き合っていく。そんな姿勢を身につけたい。