続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

ひとりごと

夜中の授乳の後も雨の音で目が冴えて、しばらく「1Q84」を読んでいた。このところ毎晩のように明け方に小さな灯りをつけて本を読んでいる。

読みたいけれど手が付けられていない本は何冊もあるのに、なんとなく今「1Q84」を読むことが必要なような気がしていて、ベッドサイドに置いて毎夜少しずつ読み進めている。もうBOOK3になり、終わりが見えてきた。

村上作品の中で最も偏愛する小説は「ねじまき鳥クロニクル」だけれど、「1Q84」も素晴らしく力のある作品だなと思う。

前回読んでから随分経って多少忘れているけれど、ヤナーチェックの「シンフォニエッタ」が導く研ぎ澄まされた序章はもちろん、気持ちがぐっと乗る印象深い箇所は鮮やかに覚えていて、一人黙って高揚しながら読んでいる。

それにしても読み返すほどに(「ねじまき鳥クロニクル」にも登場した)牛河に心惹かれていく。その惨めな最期も含めて。タマルをはじめとした脇役たちのこともゆっくり味わうようにその姿を想像しながら読んでいる。

 

「ねじまき鳥〜」が心の深いところを癒すという感覚を持つ一方で、「1Q84」は導く作品と感じる。

最近つらつらと考えているのは、うまく言えないが、どうすれば自分をごまかさず安きに流れず十全に生きることができるんだろうかということ。

成功するとかしないとか報われるとか報われないとか、そういうことに対する興味が全然ない。それは外部のことに過ぎないから。

この小説を読んでいると、何ものにも絡め取られずに十全に生きることは、厳しい孤独を受け入れ、孤独を友とすることと同義なのだと感じる。

私自身は、結局のところ、孤独から逃げ切ることはできないと薄々分かっているのに、それでもまだ何かにすがろうとしているなあと思う。格好悪いし、とても弱い。

つかめるものが何もなくなるまであがく、結局最終的にはそうなるのかもしれなくても、できるだけ心構えしていかなくては、あまりに無防備で危ういと思う。

心構えとは、人間を諦め見限るということではなく、自分も他人も、人間を極力高く見積もらないという構え。

だからこそふとした思いがけない善きことに素直に励まされ、温められるし、大事に丁寧にあろうとする。基本は生きることはさびしく救いがないものだけど、なんとかあちこちからかき集めてきた薪をくべつつ日々やっていくというイメージ。

なんだかこうして正直に書くと、悲観的で情けないみたいだけれど、そんなもんかなあと思って生きている。

 

オープンダイアローグの一日から受け取ったことをまとめようと思ったけれど、あまりに全部すぎて無理っぽい。対話的であることは、人としての姿勢であって、ノウハウではないからだ。

また小さな日常に戻ってこりこりと身の回りのことを考え書きながら、折々心に浮かんだことを書いていこうと思う。

受け取ったことたちを、日々の暮らしの中で、何度も反芻するように思い返しながらだんだんと血肉にしていけたらと思う。

 

とりとめのない独り言になってしまった。