続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

これからいかに生きるか

オミクロン株の登場で世界中がにわかにあたふたとしている。

きりがないコロナの変異株。いつまで今回のパンデミックが続くのか、誰にも分からない。

あらゆる側面において、自分としてどうありたいかをよく考え、何者かに勝手に人生の手綱を握られぬよう、ぐっと足を踏ん張って立たなければ、という気持ち。

 

新しい変異株のニュースについては、そもそも変異株がどういうものかが不明なのに、「現状のワクチンは有効だ」とか、「変異株に対応した新型ワクチンを開発して何日以内に供給する」とか、どうしてそんな確実そうな事が言えるんだろうと違和感を覚える。

日本の感染者がどうしてこれ程減少しているかだって結局誰も説明できていない。それなのに、ワクチンが有効ということ「だけ」は分かるのはいかにも変だと思う。

とにかくワクチンを打つべし、抗体は数カ月でなくなるからその都度打つべし、ワクチンによって社会は正常化できる、というメッセージが繰り返されている。

どういう選択をするにしても、自分なりに納得して決めたいという気持ちは一貫して変わらない。自分の身体に関することを、ただ流されるみたいにして決めるのは嫌だなと思う。幅寄せの幅は、日々狭まっているけれど。

 

個人的にワクチンやマスクに懐疑的だが、コロナをただの風邪と思っているということではけしてない。科学に基づかない結論ありきの印象操作や、イデオロギー的なプレッシャーによる曖昧な強制といった、今の政治のありようが嫌だ。

だいたいこの期に及んで、18才以下給付金を普通に配らず900億円以上かけてクーポン化して、要は「利権への中抜きをします」と公言してるわけで、ほんとすごい。この緊急時に一体何やっているのとしか思えない。今の政府にはもうずーっと呆れ果ててる。

 

これからもずっとパンデミックは続き、もう元には戻らない事がいくつもある。

今のところ、変異株が見つかるたびに結局水際対策で何とかしようとしているわけで、そうすると断続的な鎖国状態はこの先もずっと続く。

そして21世紀以降、野生動物が持っているウイルスが人間に感染し変異しながら拡大していく「人獣共通感染症」は3〜8年に一度のペースで起きているので、現状のグローバル資本主義、地球環境と生態系の破壊の状況に大鉈を振るわない限りにおいて、今後もパンデミックはたびたび起き続ける。

言うまでもなく現状では短期間に劇的に経済システムや地球環境が改善されることは、ほとんど期待ができない。ほとんどの多国籍企業や大企業に自重を促すことは不可能で「さあ、次はSDGsをコンセプトにじゃんじゃんものを売って儲けよう」という姿勢。

自分が生み出した子どもたち、次の世代には心から申し訳なく思うけれど、今後、いささかでも楽観的な未来よりは、悲劇的なシナリオに突き進むことの方がよほど容易に想像ができてしまう。

だから、何なら自分の人生、死ぬまでパンデミック下の人生になるということは全然ありうることであると思っている。

 

色々なことをシビアに考えていかなければいけない。

年老いた実家の両親が生きている間にあと何回会う事ができるだろう?そのうちに何とかなるさということではもはやない。

また、この国はいよいよ没落の兆しをはっきりと見せるようになっている。

プラットフォームを握る1%が総取りする社会が完成しつつあり、中間層はますます細っていく。真面目に生活のほとんど全てを捧げて働いても、なぜか生活は楽にならない。一見何とか暮らせていても、一旦病気などのリスクに見舞われると一気に転がり落ちてしまうという危うい状況で生きる人が相当に増えると思う。

私がラディカルに過ぎるのかもしれないけれど、個人的にはこの国の教育と雇用のシステムは、全体としてはもう機能不全に陥っているくらいの感覚でいる。

「学校」や「会社」で評価を得るために頑張ることは、どちらかというと有害なことの方が多いような気がする。世の中の大勢の頑張っている人を否定するつもりは全くないけれど、少なくとも自分にはもう適応できないし、できなくて別にいいやと思っている。

 

人の人生にはいろんな事が起こり、いろんな背景や事情を抱えており、一人ひとりは別の特性や障害を持つ。それが人間にとっての自然で、当然の事だ。

でも、今の学校や会社においては、そういう個別の事情を全部「ないもの」として、なぎ倒す。システムの側に個人が必死で適応するのを当たり前だと思っている。

そんなしんどい最大限に効率化されたシステムの中で、めいっぱいやってなんとかかんとか回るみたいな、ギリギリの制度設計になっている。

何かあった時に包摂できるような余地のようなものをほとんど持たない。少しもさぼらせたくないから、ぎゅうぎゅうに詰め込みたがる。

馬車馬のようにひたすら多忙にタスクをこなして生きる事を、頑張りや向上心と履き違えている。

 

そういう悪しき日本的な生き方を根本的に問い直す機会をパンデミックは与えてくれたと思う。私はもう、そのゲームにはけして参加したくない。

自分を替えのきく部品のように扱う場所には自分や家族を置きたくない。

何一つ問題のない、「生産性の高い」メンツだけで回す場所で、自分を必死で合わせてすり減らしたくない。

自分も他人も、色々な事があるのを受け入れ合って助け合ってやっていきたい。

 

もちろん生きていくのにお金が必要だから、特に夫に対してはすごくジレンマがあるのだけど、でもなるたけ今を苦痛や抑圧のない、納得性のある状態に置きたいと常に願っている。

その状態をできるだけ維持し、抑圧や搾取から身を守るために何をすべきか。それが私にとっての「これからいかに生きるか」を考えるということ。