続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

名も無い分かれ目

昨日、とても悲しいことがあった。

出し抜けに世界が音もなく崩れて、でも心のどこかでは「ほんとうのこと」をずっと前から知っていたような気もしていた。

思えば、最初の最初から、私は知っていたのかもしれない。

直感というものは、多分何よりも正確なものなのだと思う。

このままなんとかなるかなあと思っていたけれど、甘かった。結局、ほんとうのことをごまかしたまま、逃げ切ることはできなかった。

 

こんな漠然とした書き方しか、今の自分には無理そうだ。

しばらくは深く考えることもせず、ただぼんやり過ごしていたいという気持ち。

自然にものごとの輪郭が浮かび上がってくるまで、傷を負った小動物みたいに身体を丸めて淡々と暮らしながらやり過ごしていこうと思う。そうしてだんだんとかさぶたが出来てくるのを待つ。

 

でも今回は、時間が経つごとに傷が深まっていくような気もしている。そうなったらなったで仕方がない。一人で静かに傷つき続けるしかない。

私はしぶといから、どこかで底をついて、また浮上する時がいずれ来ることを経験上知っている。また、どんなに認めるのがつらいことであっても、真実だけが前に進む力を与えてくれるということも。

うんざりすることだが。そして二度と元通りにはならない、不可塑的なこともある。物悲しい記憶を携えながらじりじりと歩き、その状態にだんだんと慣れていく。

 

それにしても、はたから見ればいつも通りの平凡で小さな一日。

昨日もいつものように生活のためにやるべきことを絶え間無くやり続けて、一日が終わった。

しかし、そんな名も無い日が、おそらく後から振り返った時に自分の人生にとっての一つの分水嶺になる。昨日のことをずっと忘れない。

そう思うと、表向きのあまりの非ドラマチックさに不思議な心持ちがする。映画の見過ぎだ、リアルな人生とはこんなものだ。

 

結局、自分の身に起こる全てのことは、自分の選択と生き方がもたらした結果だから、変われないしょうもない自分も含めて受け入れて、その中でこれからもなんとかやれることをやっていくしかない。はー、ただただみじめで情けなくて、めげている。

 

それでも、そんな日に限って、あり得ない偶然で目にしたあるインタビュー記事の語る状況と自分自身とのあまりのシンクロ具合にどびっくりし、心底救われ、そこそこ長いその文章を噛みしめるように繰り返し読んだ。

そのインタビュイーの言葉は、今の自分をこれ以上ないくらいに完璧な塩梅で、つまりクールでリアルで身もふたもない「ほんとうの言葉」でもって励まし、支えてくれた。とにかくすごい内容だった。感謝しかない。

 

私は「ああ、また」と思う。目に見えない何かの存在が、自分を見守ってくれているように感じられる。

出会うものや人や事はその時々で違うんだけれど、人生の中でわりに何度もそういう自分をぎりぎりのところで救ってくれる偶然が起こってきたように思う。あるいはそういう事って、誰しもよくあることなのかな。

 

とにかく結果的に、こんな悲しいことがあった日だったのに、私は全てが億劫なくらい悲しいながらも、静かでささやかな希望すら感じながら眠りにつくことができた。

私に気付きと勇気を与えてくれたそのインタビュイーの方は、私にとっての一生の恩人となった。

明日も死なずにできるだけ親切に人に優しく正直に生きていく。うんざりして投げ出したくもなるけれど、好きな人や物ならありすぎるほどあるんだ。