続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

幸せに気付くことの幸せ

昨夜からしとしと雨が続いている。もうすぐ保育園にお迎えに行かなくちゃ。

時間てどこへ消えていくのだろう。こうして預けるようになって、自分の時間が出来たと思っても、結局くるくる動き回って気忙しく過ごし、気がついたら慌ててお迎えに行くと言うサイクルになっている。私はゆったりすることがとても下手なのだな。

 

久々に辻さんの日記を読んで、ほんとそうだなーとしみじみした。(

真夜中の日記「どうやって、幸せを感じる生き方を見つけていくのか」 | Design Stories

不幸というのは結構、「今僕は不幸だ」とわかるものだが、幸福というのはなかなか「今僕は幸福だ」と気づき難いものじゃないか、と思う。
その時に幸福だと分からずに、しばらくして人生を振り返った時に、あの時期って「もしかしたら幸福だったのかな」と思えるようなものかもしれない。

大事なことは「今僕は幸福なのだ」と気づけることであろう。
そのためには小さな幸福を見つめることじゃないか、と思う。
(中略)
不幸なことが起こった時には、「生きているのだからこういうことは起こるし、生きていれば仕方がないことだし、厄落としのようなものだし、順番なんだ」と思うようにしている。

分かるなあ。私もおおむねこういう心持ち。

加えて自分の場合は「人生はプラマイゼロだ」とという感覚が経験的に強くあって、それこそ小学生の頃からしんどい時によく心の中で唱えている。

人間は多かれ少なかれ、幸にも不幸にもいろんなことにすぐに慣れて、何だって当たり前になってしまう。その上自分はとにかく忘れっぽく、どんなことも片端から忘れていく。

私の人生は幸も不幸も正面から認識しないまま通り過ぎていくようなところがある。それは謙虚さに欠けるばちあたりな短所でもあろうし、しかし自分のしぶとさの源でもあろうと思う。

 

それでも、今は末っ子が可愛い盛りだから、辻さんの言うところの「何気ない日々に起こる、さわやかな風のような出来事」を日に何度も受け取っている気がする。

夜中に寝てくれなくて手こずっても、暗闇の中、柔らかい髪を撫でながらおっぱいをあげていると、とても二人だけ、という親密な感じがして、じーんとしたり。

今こそ後から振り返ったらああ幸福だったなと思う日々なのだとわかっているから、疲れてついぎすぎすしがちだけれど(夫婦仲も微妙)、笑顔で踏ん張っていきたい。

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