続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

子供を塞がない場所

今日も爽やかな秋晴れ。退院後はわりにあっさり日常が戻って来て、昨日は末っ子と青空自主保育に参加して自然の中で過ごし、今日は保育園に預けて家の中で事務作業。いいサイクルだなあ。

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末っ子と一緒に過ごすと言っても、家の中では家事雑事が気になって、ちょっと機嫌が良さそうなら「あ、今のうちにこれもあれもやっとこ」ということになる。

自然の中にいると、子供のことをじっくり落ち着いて見守っていられる。すごく一緒にいた感がある。

もちろん、子供はあちこち動き回って落ち着かないし、ご飯を手づかみだったりひっくり返して食べたりして忙しくもあるけれど、あれダメこれダメ全然言わなくていい感じがとても楽。

雲の形、紅葉する木々、きれいな空気、鳥の声を見て感じながら、ひゅっと深く息を吸うと優しい気持ちになる。

 

当番のお母さんYさん、子供と一緒に遊ぶのがとても上手だと感心していたら、元保育士さんと聞いて納得。彼女はずっと障害児保育に関わってきたのだそう。「いわゆる普通の保育園って、子供に我慢をさせることが多いからかわいそうで、あまり好きではないんだよね」

確かにそうだ、と思う。私は「中学校のみならず小学校からすでに無理は始まっている」とこの間ブログに書いたけれどもいわゆる普通の幼稚園や保育園においては、右向け右、みんな一緒に、わがまま言わない、早くして、ちゃんとして、ということは、もうここからすでに始まっている。

彼女のそういう感性は、子供を育てる上での基盤となる大きな価値観に繋がっている。そこの感覚のあるなしって、かなり道を大きく分けるのではないかな。

私は今は彼女の思いに全面的に共感するけれども、もし娘氏が不登校になっていなくてするする進学できていたら、「そんな大げさな」くらいに思ったかもしれない。

 

そんなYさんの子供たちへの対応は、ちょっと一緒にいるだけでもすごく学び多いものだった。怒ってギャン泣きしている子がいたら、どうしてその子が怒って泣いているか、最初から爆発に至るまでの数十分の心の動きを全部他のママに雑談がてら説明していた。手も口も出さずにすごくよく見ているんだなと感心した。泣いてる子に「そりゃそうだよねえ〜」と手を繋いで落ち着くまでただ横にいる構え、その安定した呑気な感じも素敵だった。

「ねーこの看板引っこ抜いてもいいー?」と男の子が聞いてきたから、私はとっさに「それはダメだよ、怒られるよー」と答えたが、Yさんは「うーん、それなくなったら困っちゃうかなー。公園に来る人たちのために置いてあるものだからね」と言って、男の子は「そっか」とさっと納得して走って行った。

わ、この応答レベルの違い、と思った。簡単にダメって言うことって、何の足しにもならないし、私って雑だなと思った。子供の心にも響かない。

「だめ」は、本当にだめなことを教える時のために、取っておくべき。注意深く扱うべき言葉なのだなと教わった思い。

 

そんな人間力のある人たちが関わっている場所に縁あって参加できることはありがたくラッキーなことである。

3人目になっても未熟な私の「子育てられ」人生は続く。