続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

ほんとずれてる

中3の娘氏の中学校の担任に呼ばれて面談をしてきた。進路について心づもりを聞いておきたいということのようだった。できれば娘氏も来て欲しいということだったが、お断りした。

6月に相談室登校した際に、娘氏の心を見事にぽきりと折ってくれた担任と学年主任の神妙そうな顔を見ていると、むくむくと静かな怒りがこみ上げてくる。

あの後うちは大変だったんだぞ、いかにも娘氏を思いやってそうなことを私には言うけれど、あんたたちが本人には無神経なことを平気で言ったりやったりしていたのを知っているんだぞ、と思う。

でも、怒ってみたところで仕方がない。これまでも何を話してもすれ違いだったし、彼らには彼らの揺るぎない正義があるのだし。

それよりも1時間後のヨガのクラスに間に合うよう、つつがなく10分で終わらせよう!そう思って、どうどうどうどう〜と自分をなだめつつ、聞かれたことに関して簡潔に答えてやり過ごした。

今回もやはりずれたやりとりではあった。

もう、いい。変に介入されなければそれでいい。

「できればそっとしておいてもらえると助かります」とお願いをした。

帰りには、いいですって言っているのに、来客用玄関まで二人してついてきて、お見送りをされた。

ほんとずれてるよなあと改めて思った。

 

子供の自殺と不登校が過去最多になった、という記事。

ずれてるよなあと思う。

 

この記事では、不登校の「主な要因」が次のように挙げられている。

無気力・不安 47%

生活リズムの乱れなど 12%

いじめを除く友人関係の問題 11%

 

どうして不登校を子供個人の問題として語るのだろう?

「学校が」子供を無気力にさせ不安にさせている。

生活リズムが乱れているから学校に行けないのではなく、「学校が苦痛な場所だから」、朝起きられないほどになっている。

子供達にとって友人関係が和やかで安心できるものでないのは、多くの学校が抑圧的で同調圧力が強く、多忙でタスク過重で相対的な競争を煽る、厳しい環境であることが大きい。

子供が弱く、だらしなく、甘えていて、根性がないから不登校になっているのではなくて、今の学校と受験システムが、多くの子供達が大きく行動変容せざるを得ないほどに加害的な場所になっているということ。

その事実を学校や教育関係者がまず認めなくては、スタート地点にも立てない。

学校が今のような学校でなければ、もっと多くの子供が学校に行くだろうし、彼らだって好き好んで不登校になっているわけではなく、できれば行きたいのだ。

今のいわゆるマジョリティーの学校のあり方を根本的に見直し、考えを改めない限り、不登校が減少することはない。

それは、子供達による体を張った無言のレジスタンスだからだ。

だから、大人たちが今のように不登校を子供個人の問題に矮小化して語ろうとしている限り、何も変わらないだろうと思う。

 

昨日面談した担任も学年主任も、当たり前だが、けして悪人ではない。

ただ、彼らの話しぶりからは学校のあり方を疑う視点はほぼ感じられないし、自らのやり方を変えてみる気持ちは、基本的にない。

表面上はものすごーくへりくだっている。彼らは対話をしたいのではなく、とにかく穏便に済ませたいのだ。

あそこにいると、自分が場違いなクレーマーになったかのような居心地の悪い気分にさせられる。学校は、あくまで自分たちは清く正しい側にある、学校に納得できないあるいは適応できない子供は「残念な存在」である、と事実上切り捨てている。

丁重な態度と裏腹のその傲慢さに、彼らはとても無自覚であるように私には見える。

これまで何度か対話してきたけれど、切実な訴えはいつも「その場にいる教師が気の毒そうに聞いてあげておしまい」だった。あとは、できない理由を説明されるか、「善処します」と言われてその後なんの連絡もないか。

学校で、先生相手に話をしても、残念ながらその話はどこにも広がってはいかない。密室の中できゅっと握りつぶされて、虚しくなかったことになってしまう。こちらはちっぽけな個人であり、学校は巨大な組織だ。

だから私はいつも彼らと話していると、深い無力感と徒労感に襲われるのだろう。

 

この記事も、根本的にずれていると思った。

「子供を学校に戻すこと」をスクールカウンセラーの成果として語っていること自体が、絶望的にずれている。

現状のSCは臨床心理士が多く、彼らは話を聞く「だけ」で、子供を学校に戻すことに熱心ではないから、プロとは言えず、資質に問題があるのではと書いてある。

 

この国の人権意識の低さは、こういう記事に見事にあらわれているなあと思う。

子供の辛さや子供にとって何が幸せかにフォーカスすることなく、ただ不登校が減少しさえすれば学校が機能しているとみなすかのような論調は、浅はかでしかないと思う。

そもそも先述したように、「学校がその子供にとって苦痛な場所であること」が不登校の主要な原因だが、今のところ、学校は自らのありようを変える気配はほぼない。

学校がその子供にとっての加害をやめないのなら、子供をそのままの学校に戻すことがその子供にとっての幸せや解決になる訳がない。

だったら、学校へ戻すことにこだわらず、その子供の心と身体の安全と学習機会を守り、サポートするのがSCの仕事となるのが当然の流れだと思う。

S Cが子供を守り支援するための存在であるという定義自体が間違っているのなら、話は別だが。

 

コロナ禍においても、学校行事や部活のことなど、当事者の意見も聞かずに大人たちがああせいこうせい勝手なことを言っていた。場当たり的な方針に子供たちは振り回され続けた。子供はどこまでもおとなしく従うのが当然と言わんばかりだ。

この国では、子供たちの人権は軽んじられている。社会はそれを大して問題とさえ思っていない段階にある。

 

大人が子供を正しく導けるだなんて、思い上がりもいいところだ。自分も含め、大人のやることは、子供の頭を押さえつけたり、翼を折ったりして損なうことの方がよほど多いのだ。そのことを肝に銘じておかないといけない。

そして、3人の子供の母親としては、我が子たちを塞ぎ損なおうとする大人をできるだけ遠ざけ、必要とあらばいつでもファイティング・ポーズを繰り出し、子供達をそれぞれの広々とした場所に自由に放ちたいと思う。