続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

「心のカルテ」「ワタシが私を見つけるまで」

「心のカルテ」

2017年アメリカ/原題:To the Bone/監督・脚本:マーティ・ノクソン/107分

★★★★★★☆☆☆☆(6/10)

監督自身の体験を自ら脚本化し監督しただけあり、拒食症の描き方に説得力ある。

拒食症は「普通に健康」な感覚から見ただけでは理解することが困難な病気ということもあり、あまり正面から映画に取り上げられてこなかったと思うが、この作品は拒食症独特の「ままならなさ」が微妙なニュアンスで丁寧に表現されていて、病に対する理解を深める上で学び多い作品になっていると思う。

主演のリリー・コリンズ、とてもリアルと思ったら、本人も摂食障害の経験者だった。限りなく死に近接し、でも死なずに文字通り生還するクライマックス、「人間が底につくとはこういうことなんだよな」という自然な共感が胸に湧き上がる。すごく映画的で美しいシーンだった。

 

「ワタシが私を見つけるまで」

Three teen cousins who found each other through 23andMe search for birth  family in China | Daily Mail Online

2021年アメリカ・中国/原題:Found/監督:アマンダ・リピッツ/98分/2021年10月20日Netflix配信

★★★★★★★☆☆☆(7/10)

中国の一人っ子政策の闇を暴いた「一人っ子の国(One Child Nation)」という恐ろしいドキュメンタリーがあったけれど、この作品では、一人っ子政策のために親元で育つことが叶わなかった大量の主に女児たちのその後が描かれている。

 

 

この作品に登場する3人の少女は、それぞれ心ある大人に引き取られて養子となり、不自由ない環境で愛されて明るく賢く育っていて、救われる。それでも生まれた直後に捨てられたという出自は子供の心に深い傷を与えていて、胸が痛む。

 

海外に養子に出された子供と、生みの親をあらゆる手を尽くして探して再会させる仕事をしている若い女性研究者リウがこの作品のキーパーソンである。

彼女は、この仕事を通じて現代中国をフィールドワークして、子を手放した親たちと膝付き合わせて「あの当時何があったのか」を丁寧に、彼らの心に寄り添いながら掘り起こしていく。

少女たちの親かもしれないと候補に上がってきたのは、名も無い農村で、しゃがんで農作業をしていたり、料理をしていたりするごく普通の人々。一見平和で穏やかに見える風景の中で、人々の口から驚くべき事実が語られる。

赤ん坊が生まれた翌日に、隣人が寝ている間に勝手に赤ん坊を盗んで誰かに渡してしまった。政府の役人に見つかって「処分」しなければ大変なことになるから役所の入り口に捨てた。それらは大昔の話ではなく、たった20年前に起こっていたことだ。

母親たちは、話しながら皆涙を流している。政治の圧倒的な暴力によって一生癒されることのない深い悲しみを膨大な数の女たちが背負わされている、それが中国という国である。政府からは今も何の説明も反省もない。どれだけ経済成長して表面上こぎれいになろうが、この国が凄まじい人権蹂躙の国である事実は帳消しにはならない。

まるでそんなことなど何もなかったみたいな静かな日常の中で語られているからこそ、より戦慄するものがあった。

 

救いは、赤ん坊たちを養子に出すまで世話をしていた養護施設の保育士たちのありようだった。

何百という放棄された赤子の世話をしてきた彼女たちは、最底辺のケア労働従事者として、大した報酬も社会からのリスペクトもなく、今も地味に中国の片隅で生きている。

彼女たちは、世話をした一人一人の赤ん坊のことを驚くほどよく覚えていた。そして赤ん坊たちを可愛く思い、行く末を案じ、別れを悲しみながらこの仕事に従事してきた。誠実で心温かい、自分の世話をした保育士との再会を通じて、かつて捨てられた少女たちは「少なくとも人生の初めの数年間、私は愛されて世話をされていたのだ」という事実に大きく励まされることになった。

 

それにしても世界は、暴力的すぎる現実と、同時に何があっても明るく強く、前を向いて生きていく子供達の存在という構図に満ちている。やるせなく、気持ちが引き裂かれる。