続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

だんなさんのいない日

昨日は、だんなさんが終日不在だったので、母子でだらだらと過ごした。用事は、午後に保育園の見学が一件だけ。

 

普段一緒にいると気づかないのだが、だんなさんがいないとなぜか「そういえば前々からあそこに行ってみたかったんだよなー」とか、ふっといろんなことを思いついたり、アイデアが浮かんだりする。

中3の不登校娘氏も「せっかく学校も行ってないんだし、時間は有り余るほどあるんだからし一人旅にでも行こっかな〜」と、パン屋ヘ一緒に行く道々話したりしていた。

私は「いいじゃんいいじゃん、本格的に寒くなる前にぱーっと行っちゃえば?とりあえず、そうだなー、10万円くらいなら出せるよ」とすぐさま請け負った。

 

この夏、娘氏は日中家の庭のウッドデッキにすら出なくて、3回くらいしか庭に出ないまま秋になってしまったので、季節の急激な移り変わりにびっくりしていた。

親としては地味に命の心配をしていたので、えいやっ、持ってけドロボーな心境である。

でも、夕方に女子学生が太ももを刺されたというニュースが大きく報じられていて、「こないだの小田急線もそうだし、女性を狙った通り魔って結構いるんだね・・・」と娘氏の気分はかなり下がってしまった。

弱い女性を狙った卑怯な犯罪者め、ほんとムカつく。

 

それにしても、だんなさんといると、あからさまに強制されているわけではないのに、何となく規則正しく生きなきゃいけないし、だらしないのはだめだし、思いつきで突飛な行動をすることは慎むべきだと思わされていることに気付く。赤ちゃんが生まれてからは、ご飯やお風呂など、さらに規則正しくしなくっちゃ、でも体のあちこちが痛いし、疲れてなかなかできない、しんどいな、と罪悪感をたびたび感じてしまって、時々逆ギレっぽくなったりもしてしまう。

 

彼は、時間や心の余裕がなく、浮き足立って雑になったり、焦ったりすることが何よりも嫌いである。仕事でもプラベートでも、身の回りをきちんと整え、誰にも基本丁寧に礼儀正しく接し、約束の時間の15分前には到着し、日課というものを愛している。

だから、場当たり的にフィーリングで行動する、ギリギリのタイムアタックが大好きな息子氏にはしょっちゅう腹を立てたり呆れたりしている。たしかに息子氏は、だらしない私も時々爆発するくらいのめちゃくちゃくんだが、同類だけに気持ちは結構分かる。

息子氏は、高校卒業したらそのうち家を出て行くと思うので、そうなると矛先が私にもろに向きそうで怖い、うぐぐ。

ちなみに娘氏はだんなさん似で、前もって予測してきちんと組み立てができる人。彼女のクローゼットの中はお店みたいに美しく整理整頓されている。

 

赤子を育てている今は、自分自身の体力の余力もなく、夜の9時にはスイッチが切れてしまうから、規則正しく促してもらえることはありがたくもある。

でも、なんだろ、やっぱり私どこか窮屈なんだろなーと思う。

コロナ禍になって、海外へ行く仕事が全くなくなったな、と思う。だんなさんが海外に行っている時は、いつも母子で放浪の民化して、全てが適当で散らかっていて、でものびのびして妙に楽しかったりもする。

普段は、暮らしってこんなにもたくさんやらなければならない家事がある、でもそれが生きて行くということなんだという感覚なんだけれど、だんなさんがいないと別にやらなくても死にゃーしないということが実は多い?という心境になり、ちょっと楽しくなる。

イージーゴーイングでお祭りっぽく、気ままに動き回っている。

多分、それが本来の私の生き方、ネイチャーなんだろうなあ。

 

そんなことをふと思ってしまうのは、きっと今信田さよ子さんの「家族収容所 〜妻という謎〜」という物騒な本を読んでいるせいだ。

あんまり深く考えないようにしている結婚と家族というものについて、はたと真正面から見つめてしまったら、きっとそこには底なしに深い黒々とした穴がある。そう思うと読み進めるのが少し怖い気持ち。

 

もちろん共同生活する上で、さまざまな抑圧は、あるんだとは思う。誰であれ他人が共に暮らしている以上、お互いに軋轢はある。

もしも別れたら私はもっと自分らしく生きられるんだろうか?分からない。多分、そういうところもあると思う。彼だって、きっとそのことを夢見ているんじゃないかなと感じることはある。 

 

それでも私は、やっぱりこの人を好ましく、ありがたいと思う。

親切であろうとしてくれること、踏み込まないでそっとしておいてくれること、ちゃんと聞こうとしてくれ、彼なりの答えを返してくれること。

そして簡単に明け渡してはならないと思うことと、いいなと思う人やものがわりに一致している。

 

赤ちゃんが生まれてからは、だんなさんがどれだけ家事をやってくれているかも、いないとより痛感させられる。

昨日は洗濯物を干したのは夕方だった。洗濯、掃除、修理、各種手続きや問い合わせや申請作業、夜私が末っ子をお風呂に入れた後に先に寝室に入って休ませてもらえていること。

家で編集したり、ズーム会議したり、携帯でのやりとりをしたりしながらやってくれている。睡眠も少なく、くたびれていることだろう。

 

それもこれも、私への庇護心や愛情みたいな甘いものではなくて(と改めて書くと身もふたもなく寂しい気もするが)、彼が自分自身を平和に保つためにも家庭というものが心地良く回るようにする必要があって、それには私が子供を怒ったり放置したりせず、できるだけ笑顔でケアできるほどに余裕がある状態でいられることが必須。そのために彼はいろんなことをある程度予測し、前もって対策し、行動している。

そこにあるのは、共に生活する運命共同体に対する責任と諦観、そして分け隔てのない親切心と互いに対する想像力と思いやりである。

 

「私が欲しいのは、分け隔てのある愛情だ」と三島由紀夫は言った。若い頃は全くその通りだと思ったけれど、今は全然そうは思わない。

分け隔てのない親切心の方が信頼できる。

 

それでも、時々親しい女友達や妹とシェアハウスしたり、気ままに旅をしたら楽しいだろうなあと夢見てしまう。パートナーが女性というのもいいものだろうなと内心よく思っている。

私はヘテロセクシャルだが、マッチョな男性が本当に苦手で、さらに年々より中性的な人を好ましく思う傾向が強まっている気がする。なんでだろう、時代なのかなあ。

とにかく、BTSだったら、絶対ジミン、次にJ−HOPEなのである。(だからなんだ)