続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

現段階での個人的雑感

テレビの報道番組でスウェーデンのコロナ対策が取り上げられたみたいだ。ふむ。

今の世界の主流のやり方がこれだけ八方塞がりになってくると、耳を傾けざるを得なくなってきたということなのかな。

 

一方、イギリスとアメリカのニュースではいずれも、ワクチンの3回目のリブート接種を大々的に開始したことを報道していた。

結局きりがないんだよね、と毎度のことながら思う。

今はまだ、EUを中心にワクチンパスポートの運用でこれまで通りの暮らし、経済活動を継続していくんだという考えが支配的だけれど、それは要するに「今後半年に一回のペースでワクチン接種を受け続けるライフスタイルを受け入れていく」ということを意味しているわけで。

製薬会社は諸手を挙げて大歓迎だろうが、さすがにそれは本当に合理的なことなんだろうか?と考える人は、今後徐々に増えていくだろうと思う。

世界各国でデモが起こるなど、人権面でのハレーションも大きい。今後もワクチンパスポートを万能なものとする考え方がどこまで継続するだろうか。

 

だって、あれだけ副作用の強いワクチンを大変な思いをして受けても、抗体は半年で80%以上も失われてしまうという現実。

「ブレイクスルー感染」要するにワクチンを接種してもコロナ感染する人が病院によっては全体の3割に上るという現場医師からの報告。

日々新たに生まれ続ける変異株は、いまではミュー株に。いずれギリシャのアルファベット、全て使い果たしてしまうかも。ワクチンを打っても、すぐにより強力なワクチン耐性型の株があらわれて感染が再拡大することを繰り返している。

少なくとも重症化は防げるなど、なんとかワクチンを打つ意味を見出そうとするも、説得力は日々目減りしている。

もちろんメリットがないとは言わない。でも、リスクベネフィットを冷静に考えた時に、本当にメリットの方が大きいのか、よく考えたいと思う。

 

ワクチンさえ打てば助かる、これまで通りに過ごせる。皆そう思いたいし、そういうことにしたいわけだが、残念ながらそんなうまい話はないとリアルな現実が告げている。

ワクチンに解決を求める姿勢は、人間のおごりそのもののようにも見える。

そもそも近年これだけ頻発しているパンデミックが、人類による行き過ぎた環境破壊や、人口爆発や、グローバル化によってもたらされているということを一つも省みず、全くこれまでのやり方を変えないままで、人工的な薬の力で自然を簡単に支配して、これからも同じように好き放題やるつもりだなんて。人間てどんだけ傲慢で強欲なのか。

 

私はコロナ禍の初期からずっとスウェーデンの判断には共感してきたけど、夫を含む周囲の人たちの反応は鈍かったし、スウェーデンは一貫して他国からたびたびバッシングを受けてもいた。でも今後はだんだん印象が変わってくるのかもしれない。

先週、久しぶりにピーター・バラカンさんのポッドキャスト生物学者福岡伸一さんの話を聞いた。スウェーデンのコロナ対策の責任者であるテグネル疫学博士と福岡さんの基本ラインは(ワクチンに対する考え方などに違いはあれど)通底すると思った。

バラカンさんに「いつになったらコロナ以前の生活に戻れますか」と訊かれ、福岡さんは「(コロナウィルス が動的平衡の観点において人類と共存状態に至るには)ざっと考えても5年から10年はかかるんではないでしょうか」と涼しい声で言っていた。「ウイルスっていうのは、うち勝ったり、撲滅したり、ゼロにしたりっていうのはできないのです。なぜならウィルスも自然の一部だからです」

 

コロナウィルスを制圧して、あたかも人間の支配下に置いてコントロールできるかのような希望的言説も、突きつける現実によっていよいよそれを諦めざるを得ない流れに今後なっていくのだろう。

福岡さんは1年半前から全く同じことを淡々と言い続けていた。スウェーデンも淡々と我が道を進んでいた。

その頃に謙虚に耳を傾けていれば、失われずに済んだものはおそらく膨大にある。

でもしょうがない。それが大方の人間というものなんだろうなとも思う。我々はとりあえずやってみなくては気が済まない生き物なのだ。

歴史をみても明らかなように、人間はやらずに退くこと、抗わないこと、手をつけずにそっとしておくことが、多分生理的にとても苦手な生き物なのだ。

それも含めての動的平衡だと言えるのかもしれないし、そうだとすると「今ここ」も必然だということになるんだろう。

人間のひとりとして人間のしょうもなさ加減は率直に残念すぎるが、大きな視点でそう割り切った方がだいぶ精神衛生上はいいなとは思う。

全ては捉え方次第で、大きな視点はいつだって人を楽にしてくれる。

 

 

まとめると、テレビ番組の中で、テグネル氏がインタビューに応えて言っていたのは次のようなこと。つまりはごく当たり前のことだ。

ロックダウンは持続可能ではない。社会に多くの悪影響を与える。

子供から教育を受ける機会を奪い、多くの人が失業する可能性を生む。

精神衛生にも良くないです。

コロナは規制では止められない。ワクチン接種をしたところで、コロナをゼロにすることはとても難しいでしょう。

今後もコロナ感染者は出続けるということを社会が認識し、受け入れることが大切です。コロナを新たな一般疾患として受け入れた上で、一貫した対応システムを構築する必要がある。

一面的なデータや数字にとらわれず、その都度全体的に評価して、判断すべきです。

改めて思う。

今この国で、子供たちの学校の状況がおかしなことになっていたり、生活困窮や人々、とりわけ若い世代や女性の自死が急増していたり、多くの人々が失業に追い込まれていたりすることが「コロナで死なないためには仕方がないこと」みたいになっている。でも本当は、仕方ないことではない。全然ない。 

未知のウィルスはもちろんめちゃくちゃ怖いが、最初の何も分からなかったパニック期と今とはかなり違う。この1年半で分かってきたことも多いはずだ。

今手元にある材料を並べて考えれば、もう少し私たちは冷静になれるはずだ。

感染をやみくもに怖がるあまり、「感染を完全に防ぐ」というあまりに非効率かつ不可能なことに傾注しすぎて、発症者への治療に注力する余力がないという本末転倒な状況すら起こっているように見える。

挙げ句、ゴールポストをずらされて「軽症」とされて自宅で亡くなっている人たちの多さは、人災以外の何ものでもないと思う。少なくとも、このひどい政治は皆で力を合わせて変えなくてはいかんじゃろと思う。

 

今の段階での、あくまで個人的な見解です。

毎日いろんな情報が降り注いできて、考えがうまくまとまらないから、もやもやを自分なりに一旦言語化してみた。また考えは変わっていくだろうと思う。

しかし、不安と恐怖を盾に、なし崩し的に整合性や根拠に欠けた場当たり的な指示に、これ以上振り回され続けるのはもう嫌だな。

私たちの人生で優先すべきことは「なんとしてもコロナウィルスだけでは死なないこと」だけではないでしょう、と思うからだ。