続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

生後368日(1y/0m/3d)

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よりによって家族とケンカっぽくなったり、ゆうたの迎えがあったりで、どたばただったここ数日。

赤ん坊改め末っ子(1歳はさすがにもう赤ん坊ではない)は、無事に1歳の誕生日を迎えた。なんとか元気に育ってる。身近な人たちからの温かいお祝いの言葉や品物がとても嬉しい。何より覚えていてくれたこと。

 

1年前に出産をした日は、自分の人生の中でも最も忘れがたい日の一つになった。

もちろん必死だったけど、自分の体に起こっていることを落ち着いて感じ受け入れながら、すごく心がクリアーな状態で赤ん坊をこの世に送り出すことができて、とても清々しかった。

腹を括って、陣痛の痛みを忌むべきものと捉えず、痛みから逃げようと思わなかったこと。そして赤ん坊が徐々に降りてきて生まれ出てくるイメージ、赤ん坊と共同作業をしているという感覚を持てたことで、出産は、自分にとって究極の動物的体験になったと思う。ここまで産むという行為に向き合えたのは、初めてのことだった。

 

日中の人手がいっぱいある時間の、賑やかなお産だった。たくさんの助産師さんに介助してもらって(多分総勢6〜7人はいた)、とても安心な気持ちだった。助産院の狭いお風呂で水中出産をしたので、コロナ禍の出産と思えぬほど浴室は混み合って、みんなぎゅうぎゅうであった。

陣痛がガンガン来ている間はそれはそれは痛くてじたばたしているので、皆慣れてはいるのだろうけれど緊迫した雰囲気もあったため、「痛ーい!でも楽しみー」と笑顔で言ってみたら、助産師さんたちもゆるんで笑顔になった。

付き添ってくれただんなさんと娘氏に「色々ありがとうね〜」とお礼を伝えることも出来た。その後ほどなくして赤ん坊が生まれてきた。

処置が終わってホッと一息ついた頃、助産院の院長先生が「はい、上手に産めました!」と言ってぽんと背中を叩いてくれた。それは、入院中に「産後のなおさんが美しくて、もう一人産みたくなりました」と言ってくれた助産師さん(それはさすがに過ぎた褒め言葉と恐縮してしまったが)の言葉と並んで、ずっと忘れられない嬉しい一言になった。

 

そんな1年前の激動の一日は、いまではすっかり遠いものになってしまった。すごいすごーい、偉かったと褒めて労ってくれた家族も、1年経てば知らん顔である。

そんなものである。しょうがないから思い出して自分で自分を褒めてみた。そのうち自分もだんだん忘れてしまうのだろうし。

 

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ひよひよだった体も随分むっちりとして、手足は力強く、どこでもとたとたと二足歩行で歩いていく。自転車やスーパーのカートで座るのが気に入らなくて、足を踏ん張って立とうとする。

ずっと手を添えていないと心配な時期は過ぎたけれど、どこにでも果敢に突っ込んでいくし、何でも口に入れる向こう見ずで、これからも心配は続く。

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何はともあれ、いてくれて嬉しい。こんな不完全な人から生まれて、私たちには出来ることしか出来ないんだけど、わりと満足して面白そうに生きているように見えるので、まあ良かったなと思う。

子どもは成長するに従ってだんだん社会の中の存在になって、うっかりするとそのままじゃ足りないみたいな気持ちに絡め取られそうにもなる。

でも、時々は初心に返って、元気で存在していることをただ喜びたいし、そのうち別れが来ることも感じたいし、人生の不思議を面白がりたい。

 

一人遊びしつつ時おり我を見るいつでもいるよ大丈夫だよ 俵万智