続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

「足跡はかき消して Leave no trace」

Amazon.co.jp: Leave No Trace 足跡はかき消して (字幕版)を観る | Prime Video

2018年アメリカ/原題:Leave No Trace/監督:デブラ・グラニック/119分

 

アメリカは、言わずと知れた世界で戦争を最も行っている国で、というか、ほぼ常に戦争状態にあり、それによって経済を回している国である。

同時に、それだけ戦争をしているにも関わらず、自国はけして戦場にせず、必ず相手国に乗り込んで行って、圧倒的に優位な戦力でもって戦闘を行う。自らは兵隊と兵器のみを携え、相手国の国土、相手国の人々の命と暮らしだけがずたずたになる。

アメリカは、大きな矛盾に支えられた「自由の国」である。

 

しかし、戦争を他国で行なっているからといって、アメリカが戦争の全てをアウトソーシングできているわけではない。アメリカ国内における「戦争の爪痕」が、声なき人々の静かな苦しみと沈黙によって語られているのが、この淡々とした作品である。

 

森の中で人との関わりをほぼ絶って、野営生活を営む父娘。父は深刻なPTSDを抱える退役軍人である。「公有地で勝手に生活するのは違法である」というロジックで彼らは福祉局の人々に強制的に「保護」され、新たな生活を与えられる。

与えた側からすれば、紳士的で手厚く申し分のないサポートである。しかし当事者がどうしたいかという希望を訊ねられることはない。それはあくまで福祉局、ひいては一般的なアメリカ社会の常識が考える「より良い暮らし」に過ぎない。

心に深い傷を負い、社会生活や日常音が耐えられない父親にとっては苦痛でしかない。 一方、ただ父に連れられて野営生活を送ってきてたティーンエイジャーの娘にとっては、新たな人々との出会い、新たな暮らしはずっと快適で安心なもので、「こういう生活があるのだ」ということを彼女は初めて発見することになる。

やがて父は娘を伴い、黙って逃げ出す。苦しく寒く不便で心細い森の中の暮らしに戻ろうとする。娘は父のために仕方なく一緒に逃げるが、一度生まれた心の隔たりはけして埋まることはない。

父の大怪我を機に、さらに彼らの痛みをよく了解し、尊重してくれる人々の小さな集落に拾われて、ようやく一息つくも、それでも父は納得しない。

誰にも会わず、森の中で暮らしたいと頑なに社会を拒み、荷物をまとめる父。

娘は父と別れ、新たな自分の人生を生きていくことを選ぶ。

 

 

 民意の大きな抵抗によって敗北したベトナム戦争以後、アメリカは徴兵制を廃止し、マスメディアをコントロールすることによって、以後大規模な反戦運動を完全に制圧することに成功した。

兵役は「志願兵」とは言うものの、事実上やむにやまれぬ事情を持つ、主に経済的に豊かでない人々が幅寄せされるように就く仕事となり、自国が行っている戦争に関する不都合な事実はメディアコントロールによって最小限に留められ、あたかも「クリーンな戦争」を行っているかのような情報操作さえ行われた。

その結果、アメリカのマジョリティーは、まるで自国が正義に基づいて正しく戦争していて、無差別の人殺しなど行っていないかのような錯覚に陥ることになった。

その偽りの無謬性の陰に、この映画の父親のような人々の存在がある。

 

この作品を見ると改めて思う。

彼らは自ら望んで戦争に行った。だから「自己責任」で何とかすべき。国は年金だって与えているじゃないか。

それがこの社会の本音。

マジョリティーは、彼らのことを別段知りたくもないし、分かりたくもないのだ。むしろ、マジョリティーのために運用されている法律に沿って、彼らを罰し、寛容の精神でもって情けをかけてあげる。

そこには、当事者にとってはどこから言葉を紡いでよいか分からぬほどの大きな意識の隔たりと、無理解がある。

 

救いは父娘が拾われた集落の人々の存在。彼らは「この国には森の中で人に会わずに静かに暮らしたい退役軍人がいる」ということを、事実のまま受け入れ、尊重して踏み込まない。何年も顔を合わせないままに食料の差し入れを続ける女性に出会ったことが娘が新たな人生を踏み出すきっかけになった。

 

ただあらすじを書くばかりになってしまった。

この作品は、「あなたたちはあまり見たくないだろうけれど、アメリカ社会の狡猾な外部化によって損なわれたこのような人々がこの国には少なからずいる。それは、この国の現実の一つとして確かにある」ということを、ただ黙って突きつける作品だからだ。