続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

「大坂なおみ」(Netflix ドキュメンタリー)①

最後のとどめみたいな醜聞と解任騒ぎを経て、オリンピックの開会式。

私は例によって早寝なので、内容はニュースやSNSを通じて断片を知ったのみ。

だから、開会式がどうだったかを語ることはできないのだけど、少なくとも現場の運営の人々の混乱や大変さは想像を絶するものだったろうなと想像する。

土壇場に続く土壇場の対応だっただけに、寝てない人も少なからずいたのでは。

 

オリンピックを私利私欲や政治利用しようと目論んだ人々のもたらした顛末、リーダーシップ不在の中、「何があろうがどうしてもやるのだ」という無責任で思考停止的な結論だけがあり、それらの現実的対処を日々迫られる人々のことを思うと、気の毒でいたたまれない気持ちになる。

五輪に対する個人的な思いとは別に、現場で働くそれぞれの人にはそれぞれのやむにやまれぬ立場があり、基本的に皆善くあろうとしているという事は忘れないようにしたい。

 

しかし、これだけのことを言ったりやったりしてきた日本が、多様性と調和って一体どの口が?とは正直思う。虚しみがすごい。  

私は日本語が好きだから、ここ数年、いろいろな言葉がすごい勢いで汚されて、使えなくされていくことの多さに憤りを覚えている。

人々が大事に使ってきた美しい言葉を盗み、人を騙すために利用して、やがてその言葉自体をどうしようもなく軽薄で陳腐なものにしてしまう。すっかり消費し尽くしたら簡単にぽいと捨てて、また別の美しい言葉を安易に剽窃し、醜く変えて、見たくもない言葉にしてしまう。

そのようにしてこの数年、もうとても恥ずかしくて使えなくなってしまった言葉がいくつもある。

それは、本当に本当に、罪深いことだ。言葉は、私たちの大切なコモン、共有財産なのだから。

 

開会式の最後、聖火台への点火で会を締めくくった大坂なおみ選手の笑顔の画像を見た。

「多様性」の象徴としてこういう風に彼女を利用したのか、と思った。

彼女自身が出演を承諾し、今回の五輪への参加をとても喜んでいることはあるにせよ、 彼女が「従順なアスリート」の枠に収まらず、政治的発信をしてきた時はずっと無視してきたのに、ここにきて彼女のありようをあたかも日本のそのものみたいに扱う、水戸黄門の印籠みたいに使う欺瞞にげんなりした。

 

折しも、このドキュメンタリーを見たばかりだったから。

大坂なおみドキュメンタリー、Netflixで配信 予告解禁(クランクイン!) - Yahoo!ニュース

2021年アメリカ/原題:Naomi Osaka/監督:ギャレッド・ブラッドリー/全3話/2021年7月16日〜Netflix公開

 

刑務所に収監された夫を救い出すべく奮闘する黒人女性を描いたドキュメンタリー「TIME」が話題になったばかりのギャレッド・ブラッドリーが監督。彼女自身もアフリカ系であるがゆえの理解の深さを感じる。

ここには複数の人種的背景を持ち、アスリートとして巨大な成功を収めたひとりの若い女性の思索が描き出されている。

彼女は、自分に課せられた才能と成功という重たいものに、悩み時には恐怖に打ちのめされながらも向き合い、考え続ける。

彼女は、一貫して長いものに巻かれたり、黙って隠れてやり過ごすことを選ばない。自分がどう悔いなくあれるかということを、いつも自問する人だからだ。

そして、勇気をもって社会に対しても意思表明し、それらが及ぼすハレーションも含 めて個人の責任として引き受けてきた。

 

彼女の物静かな知性や熟考の末に紡がれる真摯な言葉は、今の五輪を牛耳っている権力者やステイクホルダーたちのありようとは、真逆と言っていいほどに違うものだ。

それを今「日本」が簡単にまるっと剽窃しようとしているのだと感じた。

まるで、他所で立派な功績を挙げた人に「国民栄誉賞」を与えることで、何もしていない、別に偉くとも何ともない側が、その功績を勝手に共有し、さらには「賞を授ける」ことで、その立派な人の上に立とうとするみたいに。

 

彼女が苦労して築き上げてきたものは、彼女自身のものであり、称えられるべきは、彼女が歯を食いしばって自分の責任において「言うべきこととやるべきこと」をきちんと体現してきたことである。

彼女がいくら立派で人々の支持を得ているからって、そして今後日本がいくつ金メダルが取れたからって、嘘をついたり裏金を払って大会を招致したり、公金を身内で貪り食ったり、感染リスクをないがしろにして強行したり、人々の住居を奪ったり自然を壊したりしたことは、あったりまえのことだが、なかったことにはならない。

 

まあ個々のアスリートの素晴らしさと、大会とか国とかが別物だということは自明のことで、いろんなすごいものや立派なものや涙や感動を利用してごまかそうとしたところで、五輪の興業関係者の期待するような効果は、今やさほど得られないだろう。

今回、IOCや日本にまつわるさまざまな醜聞があまりに世界中に広くあらわになったから。

東京五輪を機に日本の抱える腐敗や人々の意識のスタンダードの低さを決定づけたことは、純粋に情けないことだし、今後の国の衰減を促し、さまざまな幅広い弊害をもたらすことになると思う。若い世代は色々こうむることになるだろう。

でもしょうがない。だってどれも本当のことだから。これがこの国のリアルな現状なのだから、しょうがない。

ましてや、今や外圧でしか変わることのできなくなったこの国が、諸外国から「あり得ないこと」として問題を堂々と指摘されることによってアップデートを迫られるのなら、それはそれで喜ばしいことだとさえ思っている。

 

 

脱線したが、話戻して。 

 

このドキュメンタリーで特に印象に残ったことが二つある。

一つはやはり大坂なおみという人の22歳という若さに似合わぬほどの内省的な聡明さや、資本主義的な旧来の成功モデルにはほとんど興味を示さないが、社会に対する責任感や関心を強くもっているZ世代らしいパーソナリティーの魅力。アスリートとしてはもちろんファッションアイコンとしても素晴らしい才能を持つ一方で、ひどく内気で脆い一面があり、基本的に控え目で繊細であるというギャップ。

そんな彼女の性質については、彼女の生い立ちを知って少し納得するところがあった。

日本の根室で差別を受けて、3歳でアメリカに移住して、どうしても娘をテニス選手にすると決めたハイチ人の父親に、毎日8時間、ひたすらテニスの特訓をさせられる幼少期を送った。「正直、うんざりだった」

彼女が学校に通ったのは小学校まで。中学高校はホームスクーリングで、姉以外の同年代の友人をほぼ持たないまま大人になった。

 

うちの娘おっちんも、不登校になってからすごくものを深く考えるようになった。そして社会のレールから外れている不安や負い目を常にどこかで抱えている。

同年代の人との関わりから隔絶されているので、社会との相対的な感覚やいわゆる若者らしい振る舞い、カルチャーみたいなものがよく分からない。デジタルネイティブなので、情報には長けているけど、肌感覚として分からない。

そういう共通点を感じた。

それは本人たちにとってはしんどいことなんだけれども、得難い美点であり魅力なのだとも思う。

 

長くなったので、もう一つは分けて書きます。