続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

早朝の主婦考

おかしな時間に不安な気持ちで目が覚めて、眠れなくなってしまった。ただいま朝の4時半。

ドアの隙間から漏れてくる明かりが気になって寝室を出たら、リビングの電気もエアコンもつけっぱなしドアも開けっぱなしのまま、ゴミだめのように散らかった自室でゆうたが寝ている。

いつまでも渡仏の準備をしないでだらだらと過ごしている。昨日も一日中スマホの画面を見ていた。スーツケースを持ち上げたら、中身は空っぽである。金曜日の弁当箱が洗わず床に転がっている。ほとほと腹が立って叱り飛ばしてきた。あー朝から気分が悪い。

どうしようもないギリギリのタイミングになって、あれがないこれが足りない、今すぐ買いに行かないと間に合わないなどと言われて、またタイムアタックをさせられるのだ。もう振り回されるのはうんざり。

 

赤ん坊はしじゅうゆらゆらと歩き回って、段差やソファから落っこちたり、目についたものを片端から口に入れ、危ないと取り上げれば抗議のギャン泣きをする。

中学生の娘は、だいぶ回復してきたものの、引きこもって暗い顔をしていて、何時に起きて寝てるのかもよく分からない。

高校生の息子はあと6日で海外に行って一ヶ月帰ってこないのに、まだろくに準備せずのほほんと好きなことだけやっていて、あとはなんとかしてくれるという感じで甘えくさっている。

なんか、それぞれが別次元の心配すぎて。我ながらなんと千々乱れたケア人生なのかと笑えてくる。

それでだんなさんも含めて皆して「ねえ見て、これ聴いてみて、ちょっと来て、話を聞いて」とのたまう。

 

自分のことにかまけて生きるのも楽ではないと重々承知ながら、そして今の日常の中に小さな嬉しさも見出しながら、それでも目に見えない、自分ですらよく把握しきれない主婦の仕事のもろもろに時々徒労感を感じてしまう。

たくさんの食べ物を作っては皆がわーっと食べ散らかし、洗い物がてんこ盛りになり、洗い終わってやっとスッキリしたらまたすぐに次のご飯を作って、食べて、洗い物がてんこ盛りを繰り返す。延々続く。

それが暮らしということなのだろうけれど。

誰もほめてくれないしね。整っていることが当たり前のデフォルトだから。

家族は「手伝う」たびにいちいち微妙な間でもって感謝を求めてくるのも、まあ実際助かるし、言って欲しそうだし、減るもんでもないから「ありがとー」といつもさっぱり言うには言うが、なんだかね。

 

こないだSNSで偶然ある女性の投稿を見かけた。主婦であるその人がご飯を作ったが、高校生の子供に一言「固い」と突き返されて、衝動的にわーっと泣いてしまったと。もうご飯を作りたくない、元々料理が苦手でどう頑張っても美味しく作ることができなくて、でもずっと努力して来たけど、おにぎりすら固いって言われる、と家族の前でわんわん泣いてしまったと。

 

読んでいてちょっと泣きたい気持ちになった。

どんなことであれ、自分に向かないことを努力し続ける人生って苦しい。

料理は結婚した女だったら当たり前にできるはずのことである、と程度の差こそあれ世界中でそういう規範になっている。でもいかんともしがたく料理が苦手な人も当然いるだろう。けれど料理が嫌いでしたくないということはお金持ちの奥様とかでない限り、絶対に許されないって、どんなにかしんどいことだろう。

たまにやるのではない。死ぬまで一生、一日三回だもの。

 

もう10年以上前に亡くなっただんなさんのお母さんがそういう人だった。

すごく頭が良くて、医者になろうとしたが女だからと許してもらえず、家庭に入ったけれどどうしようもなく家事や料理が苦手だった。不平不満は言わず、いつも三歩下がって完璧に家事をこなす母親に育てられたお義父さんは、貧乏くじを引いたという態度を隠さなかった。家族の集まりの時に、男三人は「この人凍った刺身を出してくるからさー」と冗談めかして笑っていた。

私もつられて笑った。

頭脳明晰で社交家で度胸が据わっていて、でも今思えば発達系だったから手先が不器用だった。整理整頓も全然できなかった。

本当にしたいことはできなかったから、何も長続きせず、長く病んだ心の病と心中するみたいにして、消え入るように亡くなってしまった。

彼女が結婚なんかせず、自分の気に入った場所に住んで、自分に向いたことを十全にやれていたら、と遠くから眺める私でさえ思うような、どうにも家庭の主婦とはミスマッチな人だった。

 

私自身は、そこまで致命的にできないことはないし、家のことが楽しい時もあるし、雇われて働くの基本的には嫌だし、何より今さらだし、ま、こんなもんだろうと思っている。

今は赤ん坊が本当に面白く可愛いし。

ただ、誰しもそうであるように、私も胸の奥にも鬱屈したものはある。確かにある。

自分で選んだという実感が薄いからなのかもしれない。どこかで選ばされたように思っているのかもしれない。

だから、なだめるようにやっていくのではなく、派手なことをしたい気持ちも一つもなく、ただ納得したいなという思いがすごくある。

 

もうすっかり日が昇った。

さ、またキッチンに立ってまずはお湯を沸かして熱いお茶を一杯飲もうっと。