続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

7/13ポリタスTV①(五輪の問題ってなんなのか?)

気がつけば、オリンピックの開催まで一週間を切ったらしい。あまりに受け入れがたいので、具体的な情報を見ないようにしてきたら、気づいたら目の前でびっくりしている。

そんなことよりと言うとあれなのだが、我が家的には五輪とちょうど時期が重なる、ゆうたの渡仏の準備でわたわたとしている。

イギリスが規制緩和、共存方式に舵を切ったのとは対照的に、フランスでは12日にマクロン大統領が事実上全員へのワクチン接種の義務化の大統領令を発令した。

外国人へのPCRおよび抗体検査が有料化されただけでなく(何と1回49ユーロ!泣)、8月からは人が50人以上集まるところではもれなくワクチンパスポートか72時間以内の陰性証明書が必要になってしまったので、複数回検査を受ける必要もありそう。ゆうたが受講する予定のアカデミーからも、定期検査の案内が来ていた。あーどんどん出費がかさむ〜。何とか無事に渡仏できますようにと、今はそれだけ。

 

 

オリンピックに関して色んな人が色んなことを言っている。それぞれもっともだと思うし、色んな考え方があっていいと思う。ただ、個人的にはここがどうであれがこうだとか更に言い募ることに、あまりにも嫌気がさしてしまっている。五輪の全部が無理すぎて何と言っていいのやらという気持ちで、結果何も言いたくないという気持ちになっている。

 

そんな中で先日見たこの番組は、頭の中のモヤモヤを整理する意味でも、今の自分の立ち位置を見つめ直す意味でも、とても意義のある内容だった。

五輪をまつわるさまざまな犯罪行為や、コロナとの関係など、いろいろな論点があったが特に印象に残ったのは、前法政大学総長の田中優子さんの話。非常に明確で本質をついていて、自分にとって五輪の一体何が受け入れがたいのかということが改めて腑に落ちた思いがした。

大事な考えだと思うので、彼女の発言、それを受けての津田大介さんの言葉を簡単に書き起こししておく。

それにしても、田中先生のけして本質から逸れない、何も盛らない実直なさま。背筋がぴんと伸びて馴れ合わない、それでいて感じる人間的な温かみ。こういう人が教育者としてこの国にいるということに私はすごくほっとする。

 

田中:(コロナと五輪を巡る諸々から)私は学術会議の任命拒否問題を思い出しました。

あれは何かというと、学問や科学は自分たちの考えから排除してもいいのだ、そういう考え方なんです。

論理性や科学的エビデンス、データ、データから導き出せるやるべき行動。そのような論理的積み重ねをしないということ。

もちろん、データや論理性がこうであるというのが一方でありながら、それとは違うことをやらなければならない局面というのは、世の中にあるのではないかとは思います。

だけどその時には、ちゃんと説明はします。「データはこうだが、こういう理由で、どうにも私たちはこれをしないことには乗り越えられないことがあるのだ。だから共感してください」という説明の仕方は、あるはずです。

が、それが(今の政府には)一切ないです。いまだにないです。だからないんだと思います、理由が。彼らにはあるんでしょうけど、私たち国民を説得できるような理由としては存在しない。

 

沖縄のことを思い出します。沖縄の人を犠牲にしてアメリカの連携を保って「日本」を生き延びさせると。

国民を犠牲にしてでもということになるので、戦争中の考え方や行動と全く同じなんですね

 

無謀な作戦として有名なものにインパール作戦があります。あれは、データを無視して、必要な補給の1/10しか補給しないとか、作戦は立てても必要なだけの人員を投入しないとか。たくさんのデータや論理的なものと関係なく行われて、それはおそらく「何とかなるだろう、頑張ってもらえば何とかなるだろう」という思いに基づいていた。

それと同時に、別にこの兵士たちがどうなってもいいっていうのが一方にあるわけです。

兵士たちは国民です。そうやって戦争は現場で行われてきた。

 

戦争というのは国民を差し出して「国」を守る。これ、変ですよね。国は国民のものなのに。じゃあ国って何だろうと思うわけですが。

国家というのは、国民を救うためのものじゃなく、国民を犠牲にして誰かが救われるというようなものなんです。

そのようなこれまでのさまざまなありようが、かぶって見えてきてしまうんです。今回のことに。

 

中学生の時に親にどうして戦争に反対しなかったのかと訊きました。「あの時は仕方がなかった」というのは大体返ってくる答えですね。でも私は仕方なかったってことを言いたくない。

だから、このまま五輪が強行されてしまうのだとしても、自分が反対をしたということをはっきりと言うべきだと思ったんです。

津田:結局結論ありきで辻褄を合わせようとするから国民に説明ができていない。そしてリスクコミュニケーションも取れない。それが五輪の背後で起きていることです。でもそれは五輪に限らずこの5、6年ずーっと起きている話ですよね。

 

日本学術会議、沖縄など全てに共通する問題が凝縮されているというのが、このオリンピックをめぐるゴタゴタなのかなと思うんですよね。

政治が根拠を示して理由やプロセスを一切説明しなくなった。

問題が発覚して、いくら説明を求め続けても、説明はしないで、同じ回答にならない回答を繰り返す。やがて国民が諦めていく。

 田中:(オリンピック問題について)一つ目の論点は「スポーツは何のためにあるのか」ということ。学生スポーツに関わって学生を見ていると、スポーツが非常に重要な教育的要素を持っていると思わされます。

単に強くなるということではなく、自分を鍛錬していく。個人が自分を人間として成長させていくという、そのことのすごさというのは、スポーツの中ではありうるんです、確かに。

じゃあ一方で国威発揚って何なのと思ってしまうわけです。組織のために、国のためにスポーツがあるのか?

そのことを考えた時、どうしてオリンピックじゃないとダメなのか、それぞれのスポーツが持つ国際的な団体でいいんじゃないかと思うんです。

もう一つの論点は、国の政策という面から見て「経済についての考え方が元々間違っている」ということ。 

経済とは経世済民、国民を救うためのものであり、誰かがお金を稼ぐためのものを経済とは本来言わないんですよね。国民を救うということに力学した経済という考えから、国威発揚って言えるのか。国威発揚のために国民を利用することは、ありえないわけです。

その両面から見た時に、確かにオリンピックは国威発揚的なものに乗っかって、お金のために利用しているわけなので、そのことを私たちは明らかにしていく必要があると思います。

ほんとは、必要ない。これに代わるものはいくらでもできる。

一人ひとりの若者が成長していくプロセスの中で、別のやり方がある。オリンピックがなくなってアスリートがかわいそうなんてことはないだろうと私は思っています。

ですから、代替的なものを提案しながらオリンピックを最終的にはなくしたほうがいいと最近は思っています。

どうなるかと予測するのではなく、自分がどうしたいかを考えるべきでしょう。

私はこうしたいというビジョンを作ってください。他人にどうなるかって聞かないでください。

自分がどうしたいかとはっきり明確に人に言う。誰かと結びつくかもしれません。排除されるかもしれません。どっちになるか分からないけど、自分が有利になるように動いてもしょうがないから、予測するのは、やめましょう。

 

昨日も小山田圭吾のことがニュースになっていたけれども、五輪にまつわる間違ったことやおかしいことはそれこそ日替わりで出てくるほどに山積しているんだけど、それらはその通りなんけれども、最も離れてはいけない重要な本質がこの話の中にあると思う。