続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

公教育の商品化とどう折り合いをつけるのか

今日は夏日になるそう。赤ん坊がお昼寝から起きたら、お家プールしてあげようかな。だんなさんは波乗りへ。混雑してるだろうに。

 

娘氏は静かに充電中である。フリースクールや心理の先生が心配して電話をかけてきてくれて、ありがたい。特に心理の先生は彼女が唯一心を開いているよその大人だから。息子氏には、お尻を叩いて旅の準備をさせている。

 

息子氏はおそらく国内では進学しないが、うちにはあと二人控えている。特に娘氏は中学3年生だ。

この国の教育制度とどう折り合いをつけていくべきなんじゃろね、と昨日も夫婦間でつらつらと話していた。

 

「教育の本質論」みたいなことではなくって、もちろんそれも大事なことなんだけれど、それ以前の教育が売り物化されている流れに、どう納得し、向き合えばいいのかな。

大学入試「改革」の流れを見ていても明らかなように、公教育は私企業によって急速に商品化されつつある。他の公共の分野がのべつまくなしに国内外の企業に食い物にされている流れと同様に。

 

いつ頃からだろう、子供たちの通う公立学校の年間スケジュールの中に、定期テストとは別に、ベネッセの行うテストが何回も入るようになった。単位や成績には関係ないテストだ。当たり前のように全員が受ける前提になっていて、勝手に一人当たり何千円も徴収される。いかにも模試ですよ、というていでしれっとやるのであるが、これについて何の説明も受けたことがない。

息子氏がしばらく前にめんどくさいとぼやいていたので初めて知ったが、そのベネッセのテストの後にはアンケートに答えなければならないのだそうだ。内容はよく覚えていないと言っていたが、勉強に関係のあることもないことも答えたと言っていた。40分くらいかかったと。それが何のために行われ、誰がどのように使っているかも、一度も説明を受けたことがない。

公的なシステムに一度組み込まれてしまえば、競争もなく、全員からもれなく徴収できる。さらに個人情報すら吸い上げているのか、すごいなと驚いた。

民間企業が公教育の分野で金儲けをするという発想が大学の民間入試に繋がっているのは明らかで、入試を特定の民間企業が掌握すれば、その入試に有利に勝ちたければ制度を提供する企業のシステムに乗らざるを得ないということになる。私企業がオートマティックに全員強制参加のゲームを作ることができる。

 

大学共通テストの民間試験の内容があまりにも酷いものだという有識者会議の提言を受けて、導入が断念されたという報道が出たのが6/22のこと。

良かった、何とか踏みとどまったのかと思っていたら、昨日のニュースで、文科省インセンティブを与えて各大学が独自に民間の介入した入試改革を進めるように後押しするという作戦に出たということを知る。

このなりふり構わなさすごいな。五輪におけるパソナ電通への忠誠に通ずる、何としてもベネッセやリクルートに儲けさせてあげなければならないという強い使命感を感じる。よほど文科省の中枢に企業の人々が入り込んでいるのだろうなと思う。

だから、今の政治体制下では、有識者や一般市民が声をあげても、民間に教育が売られる流れは止まらないだろうし、教育の高額化も止まらないだろう。

そして、すったもんだが続く中で、子供達は常に振り回され続け、新システムへの適応と対策を迫られる。

https://core.ac.uk/download/pdf/230242791.pdf

 

 

そして、昨日はこんなニュースも。

 

文科省は、唯一自由に遊べる期間である幼稚園時代までも奪おうとしているのか。

子供の個体差があるのは自然なことなのに、それを「プロブレム」と言って画一化しようとする。管理しやすくするために調教をするという発想に近いと思う。

幼少期教育で将来の学歴や所得に大きく影響するのだ、と書いてある。

全く共感できない、こんなこと。

 

 

ただ憤慨したり暗澹としているだけではなく、考えなくちゃと思っている。

何とか子供たちの大事なものが損なわれないように、しっかりと考えていかなくちゃと思う。企業戦士を養成する教育を真に受けぬよう、子供たちが食い物にされぬよう。

そうは言ってもこの社会のシステムの下で誰もが生きていて、無人島で自給自足するのでもない限り、誰もがこの社会に依存しているのだからどこかで折り合いをつけて行くしかない。

全部が悪いと言っているわけでなく、良い学校もあるし、良い先生もたくさんいるのはもちろんのこと。

ただ、国全体の流れはこうなんだということはわかった上で作戦を立てる必要があるということだ。