続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

「不安と共に生きる」

 

UNREST: FILM & FORUM NIGHT – Neighbourhood Legal Services (London &  Middlesex)

2017年アメリカ/原題:Unrest/監督:ジェニファー・ブレア/97分

 

監督は、上の画像のベッドに横たわる人。「慢性疲労症候群」という難解で深刻な病気の当事者だ。

当事者が、やむにやまれず全てをさらけ出して「目の前にあるものをあると認めて」と言っているその気迫がすごく、最近、注意散漫でろくに映画が見れていないのだけど、久々にぐっと引き込まれて見た。

 

 

この世には色々な恐ろしい病があり、それぞれの苦悩がある。その中で、この病ならではの恐ろしさとは、それを病と周囲の人々に認めてもらえないことにある。

怠惰や、ストレスやトラウマからくる無気力と見なされ、こんなにも実際に体が痛く、大変なことになっているのに、この病は長年原因不明の精神病、なんなら気の持ちようのように扱われて来た。

とても、外部の人にはそのつらさが伝わりにくい。だからこそ、この作品の監督はここまで自分の生活、自分の体に起こっていることを隠さずあけすけに見せている。そうしなければ分かってもらえないからだ。

その暮らしの大変さや理不尽さに、深い苦悩と絶望と痛みに、ただ圧倒される。

 

こういうものを見ると、自分は本当に何にもものを知らずに生きているし、人は皆なんてそれぞれに違う事情を抱えて生きているのかと思わされる。

それ以上でも以下でもなく、ただ目の前にある事実をあるものと肯定し、できうる限りの配慮をし、それでも傷つけた時には素直に認めて謝り、学ばせてもらうしかないんだと思う。

自分と他人が同じとは、ゆめゆめ考えないことが、最低限のマナーだ。

 

でも人は、自分と違う、原因が分からぬものを、そのまま「それはあるのだからあるのだ」と認めることがなかなかできない生き物だ。

この病に限らず、あらゆる差別や貧困の現場で、「そんな現実は存在しない」と言う人たちがいる。歴史を改ざんしようとする人たちもいる。私も自分に起こったことや自分が感じたことを否認されたことがある。

それは、当事者にとって何よりもやりきれないことだ。

 

他者の事実を否認したい心って、一体どこから来るものなのだろう?

自分の心の安寧のために、他者の現実をないものとして扱うという心の動きを私は憎む。

あるものはある。それ以上でも以下でもない。どんなに不都合なことでも、辻褄が合わないことでも、事実を抑圧したり、歪めたりするのは間違ったことだ。

 

裁判所の前に揃えて並べられた何十もの色も形もさまざまの靴、靴、靴。

本当はそこに立っているはずの、たくさんの目に見えない疲労性症候群当事者たちを想像させるための抗議活動の演出が心に残る。

それは、私たちは確かに存在する、その事実を認めてほしいという無言の叫びだ。