続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

「感じるオープンダイアローグ」森川すいめい著

感じるオープンダイアローグ (講談社現代新書) | 森川 すいめい |本 | 通販 | Amazon

今、オープンダイアローグについての本をいくつか読んでいるけれど、いち素人としては、読み物としての面白さ、読み易さ、内容の深みいずれにおいてもこの本が今のところのベストだと思う。手元に置いて折々読み返したい一冊。

 

著者自身がまえがきに書いているように、これは、森川すいめいさん個人のオープンダイアローグとの出会いと学び、医療者としての実践の体験、そのプロセスを主に綴ったもので、いわゆるハウツー的な知識を得られる実践書ではない。

けれど、彼個人の試行錯誤の体験や、彼の人生の旅を通して、オープンダイアローグの確かな底力、人間を本当に癒すための本質のことが浮かび上がってくる。

全編の言葉遣いの一つひとつに森川さんのたくさん傷ついて生きてきた人ゆえの優しく謙虚で人を尊重する人柄がにじみ出ている。

彼の行ってきた丁寧な対話のエピソードはいちいち沁みる。

森川さんの生きざま自体が、今の分断の時代、資本主義の極まった社会における、ひとつの真摯な投げかけになっている。

 

オープンダイアローグという概念自体は、フィンランドの精神医療の現場から生まれたものだが、森川さん自身が彼のクリニックで今すでに実践しているように、この考え方は認知症、様々な障害や病、不登校、虐待、夫婦や家族間の軋轢といったあらゆる困難を抱える当事者とその家族・支援者に対して有効なものだ。

というか、生きる上であらゆる人と関わる際の基本姿勢として採用したいものであり、完璧にはやれずともできるだけこうありたいと願う、オープンダイアローグとはそういうものだと私は感じている。

 

私なりに平たく言うとオープンダイアローグとは、ヒエラルキーのない複数の参加者による、困りごとの当事者とその関係者の話を納得行くまで聞き切る→それに全員が共に考え応答するということの丁寧な繰り返しによる対話のことだ。

そこには誰かの正義のおしつけや、相手を打ち負かそうとする発言は存在しない。

どこまでも他者は分からないものであり、その上で相手を理解しようと努力し続ける。

誰かが何かしらの結論を出すことを目的とはせず、充実した対話によって当事者の思考のプロセスを皆が支援し、結果二次的効果としての何かしらの変化がある。そういうじっくりした構えが基本となる。

「リフレクティング」といった特定のテクニックや話法も用いられるものの、基本は「温かく肯定的に、本当に相手の話をきちんと聞く、それについて皆で受け止めそれぞれなりに考える」ということだ。

 

言うなればそれだけのことである。薬も手術も、座る椅子以外には何ひとつ道具も必要ない。何のお金がかかることもない。

しかしこれを実践した時、多くの人たちが大きく快復するという明らかな事実がある。

 

世の中の、本当に効果のある本質的なことのいくつかは、「ただそれだけのこと」である。

何かしらの専門性や独占に依って寡占化して金儲けする要素が介在しない、誰にでも開かれた、ささやかで地道で小規模な取り組み。

やろうと思えばいつでもできる、ただそれにはえてして相応の人手と時間がかかる。個別的であり、効率化やハウツー化はできない。そして金銭的利益を生まない。効果は数値化されない。

 

そういう事柄に取り組むことを、今の社会はいちいち疑うし、とても億劫がる。

それらを十全に行うことを阻むのは、何をするにあたっても、お金の勘定が黒字にならなければ何もできないし価値がないと考える、お金至上主義、資本主義の意識だ。

例えば日本では、医師が患者と話す時間として保険で保障されているのは15分。この状況で、60分ひとりの患者と対話すれば、たちまち経営が立ち行かなくなる。

いいなと思う考えの先に、いつもいつも資本主義が立ちはだかる。

やっぱり資本主義ってもうオワコンだろと思う。

 

もうひとつ、対話にとって一番重要なのは、互いが対等であること。

「対話には意味がない」とか「上下関係が大事」と考える人と対話的な関係性を結ぶのはとても難しいとオープンダイアローグの実践者たちは言う。

たかが聞くこと、しかし「相手を尊重し、相手の話を途中で意見を挟まず、マウント取ったり否定したりせず、最後までちゃんと聞き切る」というのは、テクニックや賢さや知識云々というよりは、かなり人間力に左右されることだ。

だから、オープンダイアローグ的観点から言わせてもらえば、わきまえろとか黙って従えとか言う偉そうな人たちには、対話の能力はまるっきりないといえる。

 

自分自身も不完全で、いろんな歪みを抱えた存在だけれど、オープンダイアローグの創始者、ヤーコ・セイックラが言ったように「常に対話を心がける人」でありたいし、結果が全てじゃなくて、自力で考え進めたプロセスこそが大事ということを忘れずにいたい。

 

本書を読んで、地味にすごく嬉しかったのは、不幸な家庭に育って、埋められない孤独と後悔を抱えながら他者のために生きてきた森川さんが、オープンダイアローグとの出会いによって自分と向き合い、今自分の新たな家族を得て、1才9カ月の女の子のお父さんになっているということが書かれていたこと。

オープンダイアローグは、関わる人を本質的な意味で幸せにする力を内在している。

 

そもそもオープンダイアローグって、宗教もスピリチャルもイデオロギーも関係ない、人間が便利や効率や利益にとらわれて軽んじたり忘れてしまったものを、本来人間にとってすごーく当たり前のことを、取り戻すシンプルな動きなんだと思う。

だって、医者が患者の顔も見ずに訊いた幾つかのの質問の答えをカルテに書き込み、機械的に投薬する、薬の副作用が出たらその副作用を抑える薬を足すの繰り返し、そんなことで人が本当に健康になれるわけがないじゃないか。

 

議論も大事とずっと思ってきた。でもそれは弁の立つ者の、強者にとってのある種の遊戯なのかもしれないと今感じている。

弁の立たない人は、そこでは価値の低い存在として軽んじられるという時点で、フェアじゃない。