続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

踏まれた足とは ④

「ねえ、どうして私は幡野さんの回答がこうも引っかかるんだろう?」と、おとといの朝食の時にだんなさんに理由を問うてみたら、(我ながら相手が「知らんがな」と言いたくなるようなことをいつも平気で尋ねているな、汗)

「しょうがないんだよ・・・なおさんは、これまでの人生で色々あって、ある部分において男性を憎んでいるところあるから。うん、しょうがないんだよ・・」

とだんなさんは遠い目をして静かな感じで言っていたのだった

 

①と②を読んで、幡野さんの相談回答は、なおさまのもともとあった問題意識を刺激して、強い感情を呼び起こしたのだと思うのですが、それは例えば虐待の経験がある人が、虐待の本を読んでフラッシュバックが起きたというような状況に似ているのではないかと、私は思ったのですが、いかがでしょうか?

 それとも、幡野さんが加害者で、なおさまが被害者という意味で、幡野さんに言葉で加害されたと、現在も感じていらっしゃるのでしょうか? 

昨夜赤ん坊が眠った夜更けに③の文章をカタカタカタと書き終えた後、別記事に件の質問者の方が重ねて質問されたこの言葉を見て、おとといのだんなさんの様子を思い出した。

だんなさんも質問者さんと同じことを私に伝えていたんだと気づく。

 

確かにこれは自分にとってのトラウマ案件だと思う。

前述した通り、私は14歳の少女ふたり(相談者と幼馴染)にかつての自分を重ねながらこの回答を読んだ。

加えて、あくまで私個人の感じ方だが、以前から幡野さんの語り口からはマンスプレイニング的なものを感じていた。また彼のひらがなを多用する文体は、柔らかい印象を意図しているのだろうけれど、そこにある精神はマッチョだからどこかちぐはぐで、何か誤魔化されている感じがして、むしろ警戒感を抱いた。

だから、彼の語り口と文体に正直言って良い印象を持ってこなかったと思う。

 

質問者の方へ。

「避妊や児童の妊娠についての認識が軽い」「この世は自己責任」と私が彼の言説から感じた部分が、幡野さんの回答に対して個人的に強い感情が呼び起こされたゆえの曲解であるかどうかについて、自分では客観的判断ができない。

でも私はそう感じ、その思いに基づいて、彼の語り口が二次加害的な(セカンドレイプ的な、悪意なき加害としての)影響を持ちうると思った。

「幡野さんが加害者で、なおさまが被害者という意味で、幡野さんに言葉で加害された」とは、もうひとつ言葉の意味が飲み込めていないのですが、もともと私はそうは書いていないつもりです。答えになっていなかったらごめんなさい。

  

自分の考えが被害感情を理論武装したものなんだろうかということを改めて考えている。

フェミニズムやあらゆる差別を語る言説の中には、自らの痛みに根ざしたものがたくさんあるし、それらは声をあげた人の現実であり、当事者の切実な思いだからこそ人の心を打つ力強いヴォイスを持ちうる。

しかし被害感情によって、中立性や客観性を欠いた頑なさに固着してしまうこともあると思う。

 

同時にcakesの対談記事信田さよ子さんが言っていたことを思い出す。

実は「中立」や「客観」って、マジョリティの立場に立つことなんですよ。

それは強者の眼差しなんです。

DVの問題だったら、男性の視点に重なってしまう。

だから私は「客観的」という言葉をほとんど使わないようにしています。

 

「中立」や「客観的」が、どこか正しい場所にあるように思い込んでいるけれど、本当はどこにもない、幻想なんだろうと思う。

これからも自分に正直に、違和感を大切に、省みながら不完全な脳みそでじりじりと考えていくしかない。考えることで少しでも生きやすくなるように。

 

 疲れすぎていてあまりに訳のわからん雑な文章になっていたので、大幅に修正しました。

長すぎる独り言、ひとまずこれにて。

今日でGWもおしまい。明日からまた早起きしてお弁当作りだ。

さ、また日常に戻って、映画のこととか、赤ん坊のこととかを楽しく書いていこう。