続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

踏まれた足とは ③

【福祉に繋げることが正解なのか】

安易に福祉に繋げることについての懸念は、私も質問者の方と同意見である。

もちろん中には立派な仕事をされている人もたくさんいるが、この国の児相や警察や学校といった公的機関一般に対して、自分が全面的な信頼を置いているかと聞かれれば、全然そうじゃないとしか言いようがない。 

仮に14歳の相談者の少女が公的機関に友達のことを相談したとして、話を真剣に受け止めて、友達の思いを尊重しながら、継続的に、具体的に対応してくれる大人に出会える可能性は、正直言ってかなり低いのではないかというのが私の個人的な感覚だ。

 

福祉分野に関する知識を持たないので、自分や知人の体験から想像して書くことしかできないが、少なくとも自分自身はこれまで40年以上生きてきて、公的機関に困難を訴えて良かったと思えた経験は思い出せない。

後ろ盾もなく、女で、喋り方も申請作業も下手な自分は、相談しなければ良かったと無力感や怒りを感じながら諦めるという結末になることが多く、やがて相談すること自体を無意味と思うようになっていったと思う。

福祉に限らず、公的制度を利用するには、書類の申請スキルや、有力な紹介者や、介在してくれるプロの存在や、誰の目にも明らかな緊急性のある状況、対応しなければ担当者の責任が問われるといった要素がなければ、なかなか難しくて、結局徒労に終わることも少なくないと思う。

また、結婚してだんなさんが交渉役になった時の役所や学校の対応のスムースさが全然違うのを隣で見てびっくりして、自分は女だと侮られていたことを知り、やるせない気持ちになったこともある。

 

この国の福祉は、受けやすいもの、受けにくいものあるが基本的に申請主義で「生活保護を受けさせないための水際作戦」というような言葉があるとおり、国は本音ではできるだけ福祉を提供せずに済ませたいのだし、こども食堂は公的機関ではなく、やむにやまれず立ち上がった民間の人々が運営する場所だ。

先日も、役所に相談に訪れた人に、受け取ることのできる公的な福祉制度をあえて教えずに「民間NPOのどこそこに行ってください」と役所が他人事のようにどんどん困難者を回してくる、自分たちをまるで下請け機関のように思っている、と民間団体の方が苦言を呈していた。

 

大人だって適切な福祉を得るのがこれほど難しいのだから、社会的に無力な子供が自力で福祉を得るのはなおさら難しいだろうと思う。

幡野さんが言う通り、それは14歳の少女が簡単に請け負えるようなたやすい仕事ではないのだ。

 

また、自分の生い立ちを振り返っても思うことだが、自分が今置かれている環境に対して当の友達が相談するほどのことではないと考えている可能性は大いにある。

私も、故郷を離れて属していたコミュニティーの外側に出て、当たり前と思ってきたことを人に話して散々びっくりされ、年齢を重ね、守るべき自分の子供も持ってみてようやく「あれはひどいものだったし、あってはならないことだった。そして私のせいではなかった。堂々と抗議したり、拒否しても良かったのだ」と、はっきり思えるようになった。

 

子供は、知識と経験が圧倒的に足りないから、今ある状況を相対化することができないし、自分のせいだと思いがちである。相談者の友達が、現段階で自分を取り巻く環境を多層的に客観的に理解することは容易ではないと思う。

そして、かつての私がまさにそうだったのだが、自分が惨めな状況にあるということを自ら認めるのは苦しいことだ。

だから、友達が福祉に助けを求めたり、相談したりすることを望まない/思いつかない可能性は普通にあると思う。

 

色々と難しい。ただ情報を提供すれば解決することにはならない。他者が心配する誰かを福祉に繋げ、具体的に状況を改善する結果を導き出すことは、時間もかかるし、生半可の覚悟ではできないことだ。

だから、幡野さんが福祉につなげる助言や情報提供を行わなかったことについて、真意はわからないけれど、少なくとも加害ではないと私は思う。

私も、そこに関しては、自分には専門知識がなくて答えるすべがないとしか言いようがない気がする。

 

むしろ、あったほうが親切な情報提供への配慮は、cakesのスタッフが積極的に担うべき部分だったんじゃないかと思う。

今、メディアの自殺や貧困に対する報道では、アウトプットの仕方に留意し、情報に触れた人が絶望しないように、相談窓口を同時に紹介するという形が定着しつつある。

前回の炎上の際に、DV被害サポートの第一人者にわざわざ直接話を聞きに行っているのだから、例えば信田さん本人でなくとも、団体のスタッフに相談してみることもできたと思うし、情報を精査しながら調べ、信頼できる専門の機関を紹介することはできたのかなと思う。

幡野さんの「キミにできることは友達のことを否定せずに、味方でいてあげることだとおもいます。(中略)だからまずは自分のしあわせを第一に考えましょう」という部分は実際その通りだと思う。

 

そこまで考えてみて、全体を通して共感できる部分もありながら、私はどうしてこの回答がこんなにも引っかかっていたのだろうと改めて思う。

偏見であることを承知の上で正直に書くと、彼の文体と語り口の影響は少なくないのだろうと。

この点について感じたことを最後に考えて、この件を手放すことにする。

 

(続)