続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

「世代の痛み」①新自由主義の精神について

団塊の世代は子供世代に社会や政治について考えることを禁じた】

(上野)1967年、家を出て京都の大学に入りました。当時の娘は、家を出ようと思ったら結婚か進学しかなかった。大学でデモを初体験しました。

全共闘の高揚感は日常化するとあっという間に終わってしまう。バリケードを日常的に維持するために何が起こったかというと、見事な性別役割分担。女の役割は慰安婦と賄い婦です。

屈辱の構造の中で男が女を使い分ける様を目の前で見てきた。その後高揚期が終わり、長い長い退潮期を迎えるその中で一番悲惨なことが内ゲバ。思い出すのも辛いくらい、死屍累々で。だから団塊の世代には(社会・政治活動に対して)ものすごく敗北感がある。

(雨宮)私たちは「若者が政治を考えることは禁止」という空気の中で育ってきた。社会や政治について考えようとしたら「とにかく、そんなことは考えるな、口に出すな」と。そんなことを考えたらろくなことにはならないと。

(上野)禁止よりも怖いのは、内面化されたシニシズムというか、「こいつらアホや」という気持ちが下の世代に濃厚に伝わったことですね。小林よしのりが揶揄した「純粋まっすぐ正義君」はまさにそういうことでしょう。

 

新自由主義精神の浸透】

(雨宮)考えてはいけない、と社会との回路を理由も分からず絶たれた一方で「社会のせいにするな」とも刷り込まれている。貧乏なのも生きづらいのも社会のせいではなく自己責任。日本は身分制度もなく自由で、頑張れば報われるいい社会なのに、落ちこぼれたのは自分がダメだったから、自分の責任なんだと。

(上野)そうなった一番の理由は新自由主義ネオリベ)の影響だと思います。

新自由主義を一言で言うと「頑張れば報われる競争社会」。反対側から言うと「報われなかったのはお前が頑張らなかったからだ」となる。

小泉純一郎が大好きな、自己決定・自己責任の原則。 

(上野)1990年代くらいから困った時はお互い様から、人に迷惑をかけず自分でお金ですませるように変わってきた。

(雨宮)わかります。ちょっとした迷惑をかける勇気がない。気が引けてしまう。とにかく学校や親に「人に迷惑をかけるな」と呪いのように言われて育った世代ですから。

(上野)それもネオリベ世代のメンタリティそのものね。

なんで親はそんなことを子供に吹き込むんだろう。子供にアドバイスするなら、人に上手に迷惑をかけなさいと言う方がずっとまし。だって生きていくことは迷惑のかけあいっこだから。迷惑をかけないのは関わりを持たないのと同じこと。

(雨宮)90年代後半に自分の周りでかなりの人が自殺したんですが、皆「自分が生きているのは迷惑だから」と言っていた。「人に迷惑をかけてはいけない」という言葉が人を殺していると思います。死ぬくらいなら迷惑かけてもいいと言う考えが前提にない。

 

(雨宮)学校ではみんな仲良く、友情が大事と言われる一方で、教室全員が敵でライバルだから成績では一人でも多く蹴落とせという、競争を煽るダブルスタンダードが押し付けられた。教師の言うことを突き詰めると、ダメなやつは努力してないんだからいじめていいんだとなる。その結果、悪気のないいじめが次々に連鎖する。

(上野)かつて中学校の塾講師をやっていた時期、遊んでばかりの塾生に「ちょっとは元取って帰りや」と言ったら「先生、俺ら学校でも家でも息抜くとこあらへんのや」と。塾は子供にとっての赤ちょうちん。子供にとって学校も家も上司つきの職場なんですね。

 

【壊れることでしか逃げられない、病まなければ許してもらえない】

(上野)2000年代に入って若い人の異変に気づきました。東大で教える女子生徒にリストカット摂食障害がすごく増えた。男子生徒は対人恐怖と引きこもり。(中略)それで気づいたのがネオリベ社会の「自己決定・自己責任」が子供達を追い詰めているという事実です。気持ちの持って行き場がなくて自分を傷つけるしかない。

(雨宮)東大に入るような人は恵まれた環境をもつ勝ち組家族。でも親の期待に応えるいい子ほど自傷に走りますね。

(上野)競争社会は敗者に不満を、勝者に不安をもたらす。勝者はけして安心なんかできない。次も勝てるかは分からないし。ものすごく不安で脆弱な自己を抱えている子供達は、社会との回路を絶たれているからちょっとの挫折で自分を責めるしか無くなる。

(上野)自傷系の子供達が増えた時にすごく打たれ弱くなったことを如実に感じた。以前は厳しいやり方もする教師だったが、今獅子の子を崖から叩き落としたらこの子達は壊れるんだということを学びました。

(雨宮)壊れることでしか自分を守れない。病むことでしか世間も許してくれなくなった。「甘えている」と言われる。この人やばいな、と思わせないと世の中が長時間労働やハラスメントなど、どこまでも要求してくる。

だから、壊れるのは避難でもある。自分を守る最後の手段だと思います。

 

【社会・経済の問題を個人のメンタルの問題と思い込んでいた】

(雨宮)2000年頃に自傷系若者が生きづらさを語る時、結局親の悪口になった。いかにひどい毒親かと。

でも後から考えると若者の生きづらさの背景には確実に(新自由主義の)雇用破壊があった。

就職できないフリーター、正社員は非人間的な長時間労働を強いられる。労働市場に心身を破壊されて実家に引きこもると親は働けと責めて壮絶な親子げんかになる。

一体何が起きているのか当人たちにも分からなくて、全て心の問題、親子問題だとみんな信じ込んでいた。

人件費削減のために、使い捨てにできる非正規雇用がどんどん増やされていたにも関わらず。

もちろん親子問題を抱えた人もいたと思うが、90年代の雇用破壊と競争の熾烈化と無関係だった人は少数だったと思う。

(上野)新自由主義が20年30年かけて子供の世界に入り込んで、その人たちが大人になった、それが団塊ジュニア

「頑張れば報われる」なんてどの面下げて団塊世代が言えるのかと思う。団塊世代は、頑張らなくても報われた世代なんです。自分の能力が高いからでも人一倍努力したからでもなく、世代丸ごと親の世代より高学歴になれたし、生活水準も上昇した。経済が成長していく時代にたまたま生まれ合わせただけのことだから。

誰もそれを言ってこなかったということに関しては、団塊の世代の親の罪は本当に大きい。

 

(雨宮)私たちの世代は、自分たちがつらいのは、社会や政治の問題も絡んでいるということに気づかなかった。労働環境のひどさに関しても、なぜ怒らないかと言われても、最初からひどい環境しか知らない。

団塊世代は労働運動をすることを前提に話しますよね。

でも、普通に日本の小・中・高校に行ったら、労働運動をできるようなメンタリティーは全て奪い尽くされる。

我慢して歯を食いしばって耐えるんだとか、企業にとって即戦力になるような利益を生み出す人間になれとか、雇ってもらえるだけありがたいと思えとか、そんなことしか言われていないので。

(上野)そもそも教師がとことん管理されている。教師に自由が許されていない場で、子供が自由に振る舞えるわけがないじゃないですか。

全体主義と内面支配で、学校がどんどん風通しの悪い所になっています。

命令に従順な、見事に国策通りの教育をやって、その中で子供たちが壊れていった。