続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

「ロバート・ライシュ:資本主義の救済」

ロバート・ライシュ: 資本主義の救済

2017年アメリカ/原題:Saving Capitalism/監督:サリ・ギルマン、ジェイコブ・コーンブルース/73分

 

フォード、カーター、クリントンの各政権下で要職をつとめ、現在は社会活動家として全米を渡り歩くロバート・ライシュ元労働長官の話とその活動を通して、アメリカの政治の現状をわかりやすく教えてくれる。

 

今の政治の闘いは、政治的信条の違いとかではなく、ルールを都合のよいように改変するコーポラティズムと、それに反対する人々との闘いである。

 

大企業がロビー活動と献金で政治家を買収し政治権力を乗っ取る。国の税金は大企業のために使われ、大企業だけ減税され、人々はより安く企業にこき使うことができるようルールを変える。

このようにして、1%の富裕層がほとんど富の全てを独占するに至った。

 

日本はアメリカの属国なので、コピーのように同じことを後追いしている。インターネット社会になってから、後追いで同じ状況になるスピードはとても早まっている。

それでも、こんなにも答えは明らかなのだから、アメリカを反面教師にして、少しでも何か手を打てないのかとも思うけれど、状況を見渡すに、望みは薄いなと思わされる。

アメリカに比べても、日本の市民のパワーのなさ、カウンターカルチャーの脆弱さは明白で、今後も為すすべなく基本、企業にやられ放題な気がする。

 

ライシュは言う。

昔だって、労働者はもちろん大変だった。それでも、働いたら働いた分だけ、人々は豊かになることができた。

レーガン政権時代、新自由主義に舵を切ってから社会は狂いはじめた。

今ではフルタイムで働いても、どれだけ頑張っても、普通に生活していくのに十分な給料が得られず、ギリギリ以下の暮らしをするのは当たり前みたいになってしまった。

そんなのは、どう考えても間違ったことなんだ。

 

一部のエリートに関しては当てはまらないのかもしれないが、雇われること全般が、全くコストパフォーマンスに見合わないことになってしまっているのが今の世の中であるという認識に、皆がいい加減アップデートすべきだと思う。

 

いい学校を出て、いい会社に入るといったモデル自体がすでに崩壊していて、そこをモチベーションに愚直に頑張ったところで何の保証にもならないのに、今だに子供たちに塾通いさせて、少しでも偏差値の高い学校へ入って欲しいと親は願う。

 

教育に限らず、古いモデルが機能しなくなっていることはみな薄々気が付いているが、他に「こうすればいい」というソリューションが提示されている訳でもないので、漠然とした不安を感じたくなくて、とりあえずみんながやっていることをやっているように見える。

 

残念ながら全く時代は変わってしまっている。

さらに、人々の不安感を見透かして足元をみるように、あるいはシステムに取り入って当然の決まりごとの一環みたいにして体良くお金を引っこ抜いていくいろんな商売が世知辛く加速していて、それがすごく嫌で、自分はできるだけ関わり合いになりたくない。

愛なんてないのに、愛のあるふりをしているのがけしからん。しかし、皆余裕がなくて必死でいっぱいいっぱいなんだよな、とも思う。

 

しかしこの手の作品、なんだかんだでいくつも見て食傷気味。

どの作品も、厳しすぎる現状開示の後に、なんとかひねり出すように希望を見出そうとする構成が痛々しくもあり。

さて自分はどうありたいかと、自分なりにしっかり考えていかなくちゃなと思う。