続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

育児の大変さとは

日中も心配になるくらいにすやすや寝ている時期はどうやら過ぎたみたいで、床に置くとしじゅう抱っこを求めてむずかるようになってきた。

 

とはいえ、うちには人手が3つもあるので、本当に恵まれている。

日中起きている分、夜ますますまとめて寝るようにもなっていて、夜中だいたい3時から4時の間に一度起こして授乳をするのが日課になっている。

 

上の子の時は、一時間おきに夜泣きで叩き起こされて、朝には息絶えたあしたのジョー的なポーズで壁にもたれて気絶していたものだった。

今回は自分のタイミングで起きて、ゆっくりおむつを替えてあげながら半分起こしておっぱいを飲ませて。赤ちゃんは飲んだらまたすやすや寝てしまう。

何より、毎晩21時〜1時は授乳以外はだんなさんとおっちんにパスできるので、私は毎日短時間でもぐっすり眠ることができている。

 

隣にいれば無意識で気を張っていて、小さく「ほぎゃ」と言われるだけで不思議とガバッと飛び起きてしまうのが赤ちゃんの世話というものなので、赤ちゃんから離れてスイッチをOFFにできる時間を短時間でも持てるか否かは、かなり疲労度を左右すると思う。

 

ゆうたが赤ちゃんだった頃は、だんなさんが会社員で激務で帰宅できないこともしばしば。ひとりぼっちのワンオペ育児だった。

こんな文章を偶然読んで、かつての自分の心境を思い出して胸が痛くなった。

社会から孤立してまともな「公助」なんてそうそう期待できない中、日本の母性神話の圧を受けながら一人で育児をするというのがどういうことなのか、ものすごくよく分かる文章だ。

 

さらに彼女はシングルマザーだったから、子供以外の誰とも話していないという状態での密室の中の育児。

私もかつて支援機関にすがるような気持ちで電話して、同じような対応をされ、深く失望したことを思い出す。

セーフティーネットなどないんだ、私は一人でこれを続けるしかないんだ、という事実を突きつけられた思いだった。

 

今でも子供が虐待や放置で亡くなってしまったニュースは見続けることがどうしてもできず、反射的にスイッチオフする。

彼女と同じで、あるいは私もそうなってしまったかもしれないという不安が胸のどこかに巣食っているから、見るのが恐ろしいのだと思う。その怖さと罪悪感はきっと一生続くんだろう。

 

 

今回の育児は、全然状況が違う。年齢を重ねて体力は落ちているはずだけれど、全方位的に関わってくれる夫と娘がいてくれるので、肉体的にも精神的にも以前の育児よりずっと楽。

沐浴もふたりが取り合うようにしてやってくれるので、私はまだしたことがない。

お産も事前に色々学んで体調管理もした甲斐あってスムーズなものだったので、体の回復もこれまでで一番早い。

以前はもっとよれよれの中、一人で全部やっていたことを思うと、一体どうやっていたんだろうと思うほどだ。

 

今回妊娠した時は「とても無理」と思っていたのに、ふたを開けてみれば、あくまで今のところはということだけど、若い時のほうがずっときつかった。

今の状況は、ひとえに家族の理解と、物理的に負荷を分散できているからに尽きる。たまたま今回はそういう環境に恵まれた。

 

そしてかつての自分を含め、家族や周囲の協力や理解がなく、一人で育児を担っている女性は多い。

今回、妊娠・出産に久々に当事者として関わってみてつくづく思ったのだけど、妊娠・出産にまつわるいろんな場面で女性の人権は、まだまだおざなりにされている。必要な知識の共有がなく、しばしば暴力的なまでに粗雑な状況がある。

要所要所でいくつも闘うポイントが立ちはだかった。

20代の頃よりしっかり図太く、多少は経験と知識を身につけた40代になったからこそ自衛したり、回避できたこともあったと思う。

 

不妊治療や妊娠出産その後の育児の過程で、心身を傷つけられてもうこりごりだとなる女性が多いのはあまりに当然すぎると思う。少子化は女たちの無言のストライキだ、と言ったのはオノ・ヨーコだけれど、本当にその通りで、これはジェンダーの問題でもある。

 

出産までの過程においてはもっと女性の心身に優しく、そして育児という営みはもっとプラクティカルに考える必要がある。今回しんどさが全然違うことを経験したから、そして周囲のぎりぎりで頑張っている人たちの話を聞くにつけ、心からそう思う。

 

児相に電話すれば休めたり助かったりするような、単純なシステムは育児業界に存在しない。

 虐待は悪です、そんなことは百も承知だ。そこそこ普通を自負する人間でも、虐待しそうになるところまで育児という営みは理性を圧迫することがある。だからこそ負荷分散が必要で、児相に繋がりハイ解決という机上の空論からいい加減議論を進めるべき時期に来ている、ただそれだけのことなのに。なのに。

「お母さんだからがんばれる」と誰かが言った。わたしも「お母さんだからがんばれる」と思ってしまった。わたしはお母さんである前に殴られれば痛いし毎夜数時間は眠らなければ死ぬ人間なのに、なぜかそんな当たり前の前提まで、奪われがちな《わたし》たちと、それゆえ人生を喪う子どもたちがいる。

 

「自助・共助・公助」なんて言葉を平然と口にする政治家なぞ、犬に喰われろと思う。