続・みずうみ

映画のことを中心に、小さく平凡な毎日の中で自分が感じた色んなことを、湖のような落ち着いた心持ちで考えていきたいと思います

2009年のH1N1型に対する福岡伸一さんへのインタビュー

2009年、新型インフルエンザ(豚由来 H1N1型)のパンデミックが起こった際に、生物学者福岡伸一さんがこれに向き合う姿勢としてテレビで語っている動画を偶然見た。

あまりにも今のコロナ禍の状況に通じているので、備忘録として簡単に書き起こしておく。

 

今必要なのは、タミフルでもなければワクチンでもなくて、ある種の冷静さだと思うんです。

というのは、これ新型とは名付けられていますけれども、「新型インフルエンザ」と呼んでいるのは日本だけなんです。

全てのウイルスは絶え間なく変化しているので、押し寄せてくるウイルスは結局どれも《新型》なわけですよね。

もし恐れなければいけないとしたら、非常に感染力が強くて、致死率が高いものが《新型インフルエンザ》と定義されて十分な体制が必要で。

今来ているものはH1型従来型、季節型と基本的には変わらないタイプ。ただそれが豚を経由しているので少しは新しいタイプなわけです。ですからこれは普通の季節性のインフルエンザと同じように考えるべきだと私は思うんですよね。

 

毎年襲ってくる季節型インフルエンザだって非常にたくさんの人が罹るわけです。いくら免疫があっても感染自体は成立してしまう。それが重症化するかどうかが《免疫力》です。

今回のウィルスも、感染を完全に防いだり最小限に抑えるのは、これだけ人間が右往左往している現代社会においては、感染を止めるってことは《できないこと》なんです。

だから大事なことは、重症化して亡くなる人をできるだけ最小に抑えるってことです。限られた医療資源はそちらに向けられるべきで、感染を防止するってことにあまりにも極端な注意が向けられると却って死者を増やしてしまう。

 

(インタビュアー:重症化しやすいハイリスク群を対象とすべきだと。)

それは季節型のインフルエンザと全く同じ対処なわけです。

(インタビュアー:でも、今タミフルの備蓄が大事だってことになり、世界中で奪い合い、韓国では特許を外してでもタミフルを作るみたいな話になっています。すると今度はタミフルの耐性菌ができて、そうなるともうタミフルは使えない。タミフルを全否定はしないけれど、使いすぎなのは事実。)

日本では、抗生物質の使いすぎで抗生物質耐性菌ができた。動的平衡(注:物理学・化学などにおいて、相反する過程が同時進行することで、全体としては不変に見える、バランスが取れている状態を言う。ミクロ的には常に変化しているがマクロ的には変化しない状態である、という言い方もできる)の観点に立てば、あるピンポイントで介入すればそれを無力化するように平衡状態に動くわけなので、どんなものであれ耐性菌ができるのは時間の問題なわけですよね。

 

普通自然は、ある種の抗生物質のようなものを作り出しているわけですけれど、それは敵が来襲して来た時に緊急体制として一挙に出して敵をやっつけたら消えてしまう。

それが、人為的にいつでもどこでも大量に抗生物質が存在するという人工的な環境を作れば、それはウイルスや病原菌に対して進化の実験場を与えているようなものなんです。常時いつもある状態では防御システムというのははたらかない。

 

もう一つ大事なのは、本当にウイルスに対して戦う、あるいは病気が治るのは、薬が治してくれるのではなくて、私たちの免疫力・抵抗力といった動的平衡の力で回復してくれるわけですよね。

そこを健全に保つということが一番大事なことであって、目先のワクチン、タミフルを奪い合うことがその病気から自分たちを守ることではない。そこのそもそも論が欠けていると思うんですよね。

 

今ワクチンを取り合って、緊急輸入しようとしているわけですけど、メーカーは副作用が起こってもそれは免責、問わないでくださいっていう一筆をつけて開放しようとしているわけです。

タミフルは異常行動、インフルエンザワクチンでは例えばギラン・バレー症候群が副作用として知られていますよね。そういった問題がワクチンを大量に使うと顕在化する可能性もある。

ワクチンを使わないと命に関わる、使わなければいけない状況はあるが、リスク・ベネフィットが明確に説明されてからでないと。

 

今回のコロナ禍においてスウェーデンが国策として採用している政策の基本となる思想とはまさにこのことで、スウェーデンが奔放無策というのは甚だしい曲解だし、むしろ無策は日本の方なのは明らか。

 

「感染を完全に防ぐのは不可能だ」という、人間にとって不都合な、厳然たる自然の事実から目を逸らし認めない、なんとか人間の力で状況を制覇してみせるというある種の精神論とおごりが、今の世界の対策の主流になっていることにずっと違和感を感じ続けている。

そうした潔癖的な「ヒューマニズム」は、よりプラクティカルに考えよう、という意見を抑圧しようとする。けれど、それは時に他人任せな姿勢であり、根拠のない楽観主義であり、きりのない対処療法なんだと思う。